かざみどり・3



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「君に一つ頼みがある。悪いが拒否権はない」
 最初、僕の前に現れた"伝説"はひどく穏やかな顔をして脅迫してきた。
 あらかじめ用意されていた紅茶に角砂糖を放り込みながら、必要以上にティースプーンを回す。自分も図書室に属している以上その名前は知っていたが、まさかこんな乱雑な人物だという印象は微塵も抱いていなかった分、そのギャップにはいささか驚いた。
「………私が本物で、ちょっとガッカリしてるみたいだね」
 幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。と付け足して占い師は低く笑った。
「まあ、こんなに身近だとは思ってなかったもので」
 僕の率直な感想に、占い師は苦笑いのような嘲笑に近いものを漏らす。
「もうちょっと意外そうな顔をするかと思ったけど、つまんないなぁ」
「で、用件はなんですか。"木曜の占い師"」
 どうせロクな用件ではないだろうと思いながら、僕も紅茶を一口。
 明らかに紅茶ではないモノの味が口いっぱいに広がって、僕は顔をしかめた。
「それ、紅茶じゃないよ」
「………先に言って下さいよ」
「淹れたの私じゃないしなぁ………普通の紅茶なら私もこんな砂糖入れないし」
 じゃあコレ、一体なんなんだろうとティーカップの中身をまじまじ見ていると、不意に本題が飛んできた。
「上嶋君」
「………はい」
 改めて見るその占い師の顔には、なぜか諦めに似た笑いが浮かんでいた。
「私の、この"木曜の占い師"の名前を騙って一人、人を騙してやってくんないかな」

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『緊張も、感情も、そこには何も、極力混ぜないように』
 前もって、教えられたようにカードを繰る。
 僕は本物ではないから、別に厳粛にその教えに従う必要はないと思ったけど、彼女へのせめてもの礼儀と、嘘が嘘であると分からないようにするための偽装工作には結局必要な作業だった。
 一度、机の上に適当な四枚を選び出して十字になるように伏せて置き、残りを彼女の前で、横一列になるようにばらりと広げた。
「この中から、自分にも僕にも分からないように四枚選んで、僕が選んだカードの上に重ねて」
 彼女は僕の指示通り真ん中から二枚、端の方から一枚ずつ取り出し、それぞれ四枚のカードの上に乗せた。
 弓道部だけあって伸ばした腕はちゃんと締まっていて、それでも手首は細く白い。
「で、悪いんだけどその四枚の中央に、手を置いて」
 カードを置いて引きかけた手を、呼び戻す。不可解極まりない指示に戸惑いながらも、彼女はその手を机のほぼ中央に置いた。
 僕は彼女の手の先にあるカードに手を置いた。
「今日の運勢は過去と今の"流れ"を比較して、そこから予想できる大方の流れを読む。今僕の手の下にあるのが、先の流れ。加納さんの手前にあるのが現在、両側にあるのが過去。その掌から正常に流れが来てれば、この先見のカードは正常に表れてくれる」
「すごいね、なんか本格的」
「他人の運命を預かるのに、中途半端なのは失礼だし、無責任だからね」
「そっか………ちゃんと真剣に考えてくれてるんだね」
「………人にもよるよ。興味半分で不真面目に茶化す人もいるから」
 漏らすように言って、僕は手の中にあるカードに視線を落とした。
 心の中で、胸を覆うような皮肉を吐き捨てる。
 ………この状態で一番不真面目な思いを抱えているのは、一体誰だろう。
「あ、ごめんなさい。なんか、そんな風に考えてるなんて思いもしなくて」
「だから、あんまり人に知られないようになってるんだ。一見さんお断りの完全紹介制、ってね」
「あ…………」
「信頼できる人が多いから、あまりそういうこともないんだけどね」
 教えてもらった手順どおり、僕は「失礼」と一声かけてから、彼女の手の甲をノックするように自分の手の甲で触れた。
 柔らかくて、意外に冷たいと感じた肌で、逆に僕は自分が得体の知り尽くしている感情で熱くなっていることに気付いた。
「………なんか、上嶋くんの手、あったかいね」
「あ。へ、平熱が、高いんだ」
「そうなんだ?」
「うん」
 即座に思っていることを見破られたのと、それが嬉しかったのとびっくりしたので、僕はしどろもどろになってそれしか答えられなかった。
 彼女はそれに気付いているのかいないのか、落ち着いた雰囲気で黙ったまま、傍らでほんのりと湯気を立てている紅茶を利き手と逆の手で口に運んだ。
「なんか、ちょっと意外だな」
「………なにが?」
「ちょっと、上島君って違うんだなって、思って」
「違うって?」
 僕は手の甲へ触れるのを止めた。自然と、熱いと感じた自分の熱が引いてゆくような錯覚に陥った。
「上嶋君て、クラスに居る時と全然雰囲気違うから」
「ああ………教室では猫被ってるように見える?」
「というより、ちょっとつまんなさそうにしてるなって」
「…………まあ、外れちゃいないかな」
 実際、クラスに僕の居場所はほとんどない。むしろ、作らなかったというほうが正しいけど、必要なのはクラス全員で何かするときの、数合わせ要員くらいだと自分で思っている。クラスの関わりを大切にする奴は、そういう時だけ自分に優しく、そして五月蝿くなる。
 僕はそう言う人間関係の交わり方に少し疑問と、反吐が出ていた。関わらない意思表示をしているのだから、僕なんか放っておいて楽しめばいいのに、と思う。
「ホント言うと、ここに入ったとき、ちょっと怖かった」
「だろうね。なんか分かったよ」
 ここに入ったときの視線がいつもの彼女のものと違っていたのは、戸惑いではなくて、単に僕を怖がっていたかららしい。
「でも、上島君はクラスじゃなくて、ここが本拠地なんだね」
 慰めなのか、それとも、それは違うものなのか。
 どちらにしても、不意に放たれた一言は深く僕の胸へと、突き刺さった。
「…………違う」
「え?」
 一時限りの偽物で、本当は占い師ではなくてただの道化師を演じているだけの僕の本当の素顔は、もっと惨めだ。
 彼女はそんなこと何も知らずに、僕が教室でよく見る暖かい笑顔を浮かべていた。皆に好かれて、多くの人に慕われて、たくさんの幸せを表現する時にする笑顔。
 だけど、僕はそんな笑顔で見つめられる資格なんて、もうない。
 君に劣等感を抱きながら、それでも好きだなんていえる資格も、もう残ってはいないのに。
「そう違う………僕は、ただの図書委員ってことにしとかないと」
 ちょっと辻褄が合っていないような気がしたけど、彼女は話の向きが少しずれたことに機敏に反応してくれた。本当におかしそうに笑う。
「ああ、世を忍ぶ、仮の姿?」
「そういうことで」
 少し笑いながら、僕は彼女を見た。
 ザクリザクリと自分の中の何かが突き刺されて、何かが噴き出している。胸の中が膨らんでいるように苦しくて、息がしづらい。
 ただ、胸が痛かった。
 この場から、逃げたかった。でも、それは許されない。
 僕はこの時だけでも、"木曜の占い師"だからだ。
 この舞台を、完遂させなければいけない。彼女の幸せのために道化師を演じなくてはいけない。
「そろそろ、占いの結果を見ようか」
「あ、はい」
 木曜の占い師が僕に言ってくれた言葉が、今なら分かる。
 緊張も、感情も、この場に極力混ぜないようにするのは、自分を守るためだ。
 あの占い師は結果的に、僕にそれを押し付けて、逃げ出したんだ。

 胸のむかつきから吐きそうになる心を抑えながら、僕は一枚目のカードを、めくった。