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「私の、この"木曜の占い師"の名前を騙って一人、人を騙してやってくれないかな」
"占い師"は笑顔で僕を見た。
「僕には拒否権がないのに、疑問調ですか」
「………実に君らしい反応だね。普通の子は、もっと俗物的な所に食いつくものだけど」
僕は、その挑発の返しに困って、再び味の良く分からない紅茶のようなものを口にして、少しの時間を稼いだ。
「………それになんか、あまり穏やかじゃない話ですね」
「別に騙すったって、犯罪行為には当たらないよ。心配しなくていい」
危険なことをさらりと言ってのけ、占い師も紅茶のようなものを再び口に運んだ。
放課後の図書室は夏を前にして、その賑わいを退けるように静かだった。普通ならここでのんびりお喋りに興じていたはずの水曜班は、今占い師の使った魔法というか、取引というか、脅しというか、とりあえずそんなもので司書室から異例の締め出しを食らっていた。
「それに、君がやるのは占いじゃないしね………」
「………どういう意味ですか」
「君に頼みたいのは、両思いの相手の後押しなんだ。互いに気持ちを知らないが故に私がやきもきしてしまってまぁ………って感じなんだよ。これがさぁ」
「なんかいきなり素に戻りましたね、"先輩"」
煙草吸ってたらもわっと吐き出してたろうな、などとくだらないことを考えながら、仮面のはがれたいつもの名前を呼ぶ。
「だってさー、やってらんないんだもん。目の前で今時すれ違いのメロドラマよ、信じられる?」
「そもそも、興味ありませんし」
「つれないなぁ、って高坂にも言われない?」
じとり、と目でも訴えられて、僕は溜息を吐いた。
「…………というか、そんなのわざわざ僕が出なくても"本物"がやればいいじゃないですか。先輩が本物なら、そっちの方がいつもどおりでうまく行きますよ」
「占い師は如何なることがあっても自らの占いの結果に嘘を吐いてはならない。"木曜の占い師"規約第十七条」
「さっき僕がやるのは占いじゃないって言ってたじゃないですか」
「…………そういうところ鋭いね、君は」
先輩は呆れた顔で僕を見てから、改めて、表情を変えた。
「出られないから君に頼んでるの」
「理由は、僕には話せないんですか」
「………言わないとダメ?」
「どれだけ大した理由じゃないのか、聞きたいですね」
「はぁ………まぁ、仕方ないか。お願いする立場だもんね」
厳しい口調で言って、"占い師"は逃げるように視線を逸らした。
割と長く感じた沈黙の間、僕も何も言わなかった。
たっぷりと間を持って、ようやく"占い師"は、渋々と言った仕草で顔を上げた。
「うん、今回だけは、その………自信がないんだよ」
自嘲地味に、彼女は言った。
「自信?」
「…………私は比較的、顔に出やすいからね。多分、占ってるフリをするうちに分かっちゃうと思うんだ。相手はそういうところ、鋭いんだよ」
「………先輩、まさか」
「そうだよ。この場合は、横恋慕になるのかな」
一度言い切ったせいか、腹を据えたように彼女は淡々と事実を告げた。何にも返せず口を開けたままだった僕に、占い師はごまかすように笑った。
「でも、私は"好き同士"の間をどうにかしたいとは思わないから。彼の事は好きだけど、私は彼の隣に居る自分が想像できない。けど、私に魔が差さないとも限らないだろ。色恋なんて、やったモン勝ちなんだ。私はそういうアドバンテージを利用してまで、彼を手に入れたいとは思わない」
矢継ぎ早にそれだけを言うと、彼女はカップに残っていた残りを飲み干し、そして咳き込んだ。ただでさえ苦いんだから、多分底の方がさらに苦かったか、それとも砂糖が溶けきらずに甘かったのか。
「なんというか、先輩らしい考え方ですね」
「頼むよ。こんな弱音みたいなこと、私は上嶋くらいにしか頼めないんだ」
「………どうせ、拒否権はないんでしょう?」
困る占い師の顔を見て、僕は渋々言った。快諾すると、彼女は調子に乗るからだ。
たまに教師に怒られるようなことまでしでかす困った人だが、ぱっと笑う賑やかな顔が似合うのも事実だった。
「ありがとう、"八代目"。まあ、これも予行練習だと思ってさ」
「"七代目代理"です――――これ一回きりですからね」
そういって、僕は席を立った。
詳しいことも知ろうとせず、ただ待ち受ける役目が皮肉に満ちていることを、知りもせずに。
―――
そしてすべてが終わり、通常営業に戻った司書室の傍らに僕は居た。占いをしていた大テーブルとは違って、窓際に面したそこは二つの椅子と、小さな電話台くらいのテーブルが置いてある。
黙り込む僕に紅茶の湯気が滑り込んだ。
「だいぶ、お疲れだな」
なんでそんな疲れてんだかさっぱりだ、といわんばかりの顔で、高坂が正面に座った。
「慣れないことはするもんじゃないね」
「慣れないこと、って、いつもしてんじゃないのか、ああいうこと」
そういえば、高坂には嘘の事実を教えたままだったが、さっき吐いた嘘を再びつくこともしたくなかった。
「今回は特別なんだよ」
「そりゃ、相手が加納さんじゃあなぁ…………なあなあ、何話したん?」
「守秘義務により黙秘します」
「なんだよー、けちー」
実際、後はもう、ほとんど覚えていなかった。
微かに覚えているのは、抑えきれない笑顔でここを立ち去った加納の後姿と、司書室の匂いが、いつもと違って自分に馴染まないものになっていたことだった。
いつの間にか僕は、何者かに蹂躙され、荒らされて踏みつけられた静寂の上に立っていた。さっきまで、吐き気のするほどドロドロしたものが胸に詰まっていたのに、今はそこがぽっかり空いてしまって、周りには何も埋めるものがなくなっていた。
ただ、触れた手の甲だけが、今更になってほんのり暖かくなっていた。
「でもま、うまくいったんだろ?」
「それは………まあ、多分ね」
でなければ、彼女はあんな顔をして出て行かなかっただろう。仰せつかった役目だけは、とりあえず果たした、と言えるはずだ。
「………浮かない顔してるのは、その辺りか」
自分で淹れた紅茶をさも不味そうに飲みながら、高坂は窓の外に目をやった。
太陽は、西日に差し掛かっていた。長くなった日は、まだ夕暮れを連れてこない。外の運動部の掛け声が、やたらに五月蝿く感じた。
「例えば、お前が加納さんに本気で惚れてた、とかな」
高坂は肘を突いて窓の外を眺めながら、とぼけたように言った。
「………」
僕は高坂と同じように、そしてあの時の"占い師"と同じように、彼の姿から目を逸らした。
なんで、と思う前に、窓に透けて映った自分の顔ですべて納得した。
こんな分かり易い顔じゃ、"偽物の占い師"だって相手がどんなこと考えてるんだか分かりそうだった。
「どうしてこう、世界ってのは分かりやすく残酷にできてんだろうな。上嶋」
「…………うるさいよ」
涙を堪えるためにわざとゆっくり溜息を吐いた。
紅茶の赤銅色の水面が波を打って、僕の顔をぼやかしていた。
かざみどり、かざみどり。
僕は色んな風を受けて、それに合わせて屋根の上で回るだけ。
君の姿を、別の世界から見ているだけ。
かざみどり、かざみどり。
――――僕はどこにも行けない、かざみどり。
[終]