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 鋭い風が吹き始めた。
 雪を交えたそれを、人は吹雪と呼ぶ。
「あーあー、いよいよこれが始まったかぁ」
 窓枠をがたがたと鳴らす音を聞いて、ハゲ頭の馭者はさして珍しくもないように、むしろそれを忌み嫌うかのような声を上げて窓枠に寄った。
「夜がもっと短くなるな」
 茶色の髭の馭者も椅子に腰掛けたまま、窓の外を見た。
 同時に彼の目の前を、暖かなコーヒーの湯気がちらつき、視界をくゆらせる。
「外に出るのが嫌になるぜ、毎年毎年な」
 窓枠をたたく風は少し早い真の冬の到来を告げる風。この街は晩秋から冬への入りが早い。雪が降り始めるとすぐに真冬並みの気候になるのは例年通りだったが、ただ、この雪の降る早さは例年になく異常だった。
 窓枠に手をかけた馭者は、それを思って溜め息を吐いた。
「ったくよォ、なんで今年はこんなに早えんだよ。これじゃ春までロクな儲けになりゃしねえ」
「そういやお前のところはもう少しで子供が赤ん坊か」
「おう。オレもようやくジジイだ。親としちゃなにかしてやりてえが、これじゃな」
 そう言って馭者は肩をすくめて苦笑いをした。
 ちょうど笑い声がおさまった頃、雪景色の向こうから蹄の音が聞こえてきた。
「今日の最終便か。少し早いが、お前の言う通り早いことづくめだ。別に吹雪相手じゃなーんにも言われないだろ」
 待合室の大時計と見合わせながら、コーヒーを持ったほうの馭者は呟いた。
 窓枠の男は降車する人へ差し出す階段を引っ張り出して、外へ愚痴りながら出ていった。 なんとはなしにコーヒーを置いて、茶色の髭の男も外へ飛び出した。
「うわー……寒い」
 寒気が半端ではない。
 空は一面の曇り空が、少し赤みを帯びて夜の海に漂っている。
 まだ灯る繁華街の明かりが目に染みて、一瞬雪の舞う視界がぼやけた。
「あ、すまないね」
 馬車に乗っていたのは、一人だった。
 恰幅の良さそうな若い男だっただ。浅い茶色のロングコートにシャッポ、顔には片方だけ丸眼鏡がかかっている。知的な風な出で立ちで確かに地味だが、決して年老いていると言う感じではなかった。田舎へ帰ってきた地主の息子(地味な性格)といった感じだ。
 しかし、ロングコートにシャッポは珍しい。一週間ほど前に来た男も何かそういう出で立ちだったが、都会では流行っている服装なのだろうかと茶髭は考えた。
 料金とチップをようやく車から降りてきた馭者の方に渡し、若い男は向かってきた茶髭に言った。
「あのー、すいません。尋ねたいことがあるんですけど」
「なんだね?」
「住宅が密集してる地区って、どっちに行ったら良かったんでしたっけ?」
「もしかして貧民街か?」
「ああ、そうそう。この前来た時はそんなこと言ってました」
 ハゲ頭が横やりを入れると、若い男は嬉しそうにうなずいた。
 ……貧民街の関係者か。別に、恰幅がいいのも見せかけだけかも知れないな。
 茶髭は少し残念に思った。
「貧民街なら、あの道をまっすぐ行って警察を左に折れたところに入り口がある。結構広いし質が悪いから、この時間は行かないほうが身のためだと思うがね」
 実際、茶髭は貧民街がどういうところだかは知らない。ただ噂ではかなりの悪漢がたむろする無法地帯と化していると聞いた。
「はぁ、でも先方の取引先がなぜかその貧民街の建物なんですよ。まあ別にこの鞄に入ってるのは書類だけなんで、取られても問題ないんですけど」
 まるでおつかいに来た子供のようなセリフを吐いて、男は茶髭に一礼した。
「ありがとうございました。あの、コレ、少ないですけど」
 にやりと笑って、若い男は茶髭に何かを握らせた。
「あ、ああ」
 道案内をしただけで貰うと言うのも気が引けたが、黙って受け取っておくことにした。考え直せば、世間知らずなだけなのかも知れない。
「それじゃ急ぐので失礼します」
 そういって鞄を持ち直し、男は吹雪き始めた雪景色の街角へ溶け込んでいった。
「なんだかワケのわからん野郎だな」
 ハゲ頭は素直な感想を漏らした。
「ああ………」
 まあ、チップらしき物はもらったのだから良いか。
 握り締められた掌を開く。
「…………」
 隣町商工会の福引き券だった。