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 順繰りに、きちんと繰り返される夢がある。
 その夢の続きや終わりを知っているのに、必ず泣いてしまう。
 目覚めると決まって捜してしまう。
 人の『姿』や『影』。
 そして、求めてしまう。
 真実とその間にある虚構の脆さと儚さを。
 『安寧』と『安定』を。
 手に入れることのできない物を望むのは、やはり無駄なのだろうか。
 それでも捜して、求めてしまう。
 終わりのない夢は、続いてしまう。

   −3−

 午後も日が出ていればもうすぐ日暮れと言う時刻。
 噂通り、雪が降り始めた。風はないので、綿のようにふわりふわりと、軽く真白の雪が空から舞い降り続けている。新雪で凍るような雪ではないので、まだ人並みはまばらながら大通りにあった。
 バムジェイは、雪の降り始めた大通りをそのまばらな人たちの中に歩いていた。リーデンからは煙草が切れたと嘘を吐いて逃げ出してきたのだ。
 若い連中に振り回されるのは、結構疲れる。
 今まで地元では取調をした囚人は愚か同僚にさえ「鬼」で通っていたため、新人は特にだが普通の警官でさえバムジェイには用さえなければ不用意に近づいたりはしない。無論、あまり年下に仲間呼ばわりされるのも癪に障るところがあるのでそう言う態度を自発的にとっているところはある。
 しかし。
「なんなんだあれは………」
 思わず、口に出していた。
 ガキ同然のしたたかさとずる賢さを持つあの男。不思議とバカにされた、と言う感じはしないが、それにしてもあんなに振り回されたのはここ数年、ないと言ってよかった。
 昼に作戦の概要を話され、包囲作戦の展開を指示された。作戦に参加する若い警官たちは、なぜその泥棒一人を捕まえるのにそれだけの作戦を展開せねばならないのか小首をかしげていたが、リーデンと部隊長のリュベリは熱心に説明を続けていた。
 決行は今夜。
 二手に分かれた部隊の一つをバムジェイは任されていた。補佐にリーデンがつくと言う条件で、半数の部下もようやく納得したらしい。確かに、どこの所属かもロクに知らない中年を捕まえて上司の友人だからと言って自分の命を張るだけに値するかと言うと、それは少し厳しい。
「…………」
 正直、疲れる。
 バムジェイの疲れた肩にも、雪がぱらぱらっと降りかかる。
 『白』が街を埋め尽くす。
 この『白』の中に、奴がいる。
 確かに、隠れているのだ。
 かじかんできた手をポケットの中で握りながら、バムジェイはそれを思う。
 空の色は既に暗色で立ち込めているからわからないが、もうじき夜のはずだ。
 あの男も同じ空を見上げていたりするのだろうか。
 ふと雪に感傷的になって思うことを打ち消し、バムジェイは再び歩き出した。
 その前を、一人の男が立ちふさがった。
「………」
 見る目を疑う。
 確かに、あの男だった。
「久しぶり」
 男は気軽に手を上げた。
 あの時と同じ、大胆な行動力と皮肉なまでの笑顔で。
「………やはり生きてたのか」
「あの時は死ぬとばかり思っていたけどね。おかげさまでなんとか。警察に新人が入ったって言う井戸端情報も、あながち信憑性が高くて………でも、この年で新人はないかな」
「やかましい」
 バムジェイが、言い返した。
「それで、何をしに来たんだ?」
「顔を拝みに来たのと、少々頼みと伝言があってね」
「捕まえてくれるな、というならお断りだ」
「違うよ」
 男は軽く笑った。
「それじゃ、なんだ?」
 バムジェイは顔をしかめた。一年振りの再会だと言うのに男はあたかも時間のなさそうな口調で淡々と告げる。
「条件次第では自首してやっても構わない。だが今ここで話すには時間がなさ過ぎる。夜、追って連絡する」
 夜、と聞いてバムジェイの肩にざわりと鳥肌が立った。
 この男、まさかそこまで知っているのか?
「相当危ない橋を渡されそうだな?」
「いいや、俺を捕まえると言う話よりもっと簡単なものさ。とにかく追って連絡するよ」
 ランプの影がふわりふわりと雪の中をゆらめいて、バムジェイと男の影を揺らす。
「そういえば、女と同棲していると言う話だが?」
「妹だよ。俺に似なくて本当に良かったと思ってる」
「兄妹揃って泥棒じゃ、こっちの身が持たんよ」
 バムジェイはタバコに火をつけた。
「いるか?」
「いらない」
「この街の人間はタバコを吸わないのか」
 懐にタバコをしまいつつ、バムジェイが毒づいた。
「どう言う意味だか知らないけど、体に悪いから止めることを勧めるよ」
「警官が泥棒に説教されるとは、世も末だな」
 バムジェイが軽く笑った。
「………確かにな。でも俺を捕まえないうちにくたばっても、面白くない人生で終わるような気がしないか?」
「言ってくれるな」
 苦笑いを浮かべて、バムジェイは彼の瞳を見つめ返した。
 暗くなっていると言うのに、猫のように光を吸い込むその瞳は宝石のようにはっきりとした輝きを放っていた。
 剣のような、触れるもの全てを傷つけてしまいそうな、危ない光。
 満ちる月のように、それは輝いている。
「また、健闘してくれる事を祈るよ」
 バムジェイが引き止める間もなく、男は街の影に消えた。

 同時刻。
 向こうから歩いてくる雪を被った薄いベージュのロングコートの男を避けて、フォリエルは足早に目的地へと向かっていた。
 風が無いのがせめてもの救いだが、この寒さだけは未だに慣れず、むしろ慣れたくなかった。
「ったく、暖かいうちに来ていれば、こんなことにはならなかったのに」
 愚痴をもらすフォリエルの隣をいつのまにか、女が歩いていた。
 防寒のため少し厚着をしているが、その微かな灯りに照らし出されるその顔は、街娘のそれとは明らかにその雰囲気を異にしている。
「天候だけは予想がつかないわ。例年じゃまだ秋のはずなの」
 背筋に昇ってきた寒気を身震いとくしゃみで振り落として、二人は大通りを右折。途端に道が細く、尚暗くなり、闇の度合いを増したが構わず歩きつづけた。
「ディエー」
「ん?」
「先方は来ていると思うか?」
 真顔で男が聞いた。
「多分無いわ。今までの取引だって、全部こっちが待たされているのよ。相手が大物だからって、気後れする必要は無いわ。いつも通りやればいいの」
 二人は、少々のトラブルで街につくのが遅れていた。
 先方を待たせているのではないか、とフォリエルは内心心休まるところが無い。
「まあ、先に着いてたらその時よ。あの男は私たちが遅れることよりも積荷が送れたことのほうが重要なんだから」
 苦々しく先方に嫌味を吐きながら、女は境界となりうる門をくぐり抜けた。
「しっかし、いつ見ても汚ねぇもんだなぁ」
 住宅街にはいるなり、フォリエルがディエーに言った。
「見ているだけならまだいいわ。住んでるリィナに失礼よ」
「先方の拾ったガキか」
「そういう言い方はよくないわね。私たちにとっても重要な顧客の一人よ」
「顧客は顧客だ。差別するつもりはねえがな」
 話を続けようとして、フォリエルはディエーが睨み付けてくるのに、次の言葉を飲み込まざるをえなかった。
「着いたわ」
 女はとある家の前に来るとその戸を二度、殴りつけるように叩いた。
 少し間が開いた。
「はーい、どちら様ですか」
「ディエーよ。ラクハンブルに用事があってきたわ」
 ディエーの声に急かされるように、慌てて戸が開く。
 中からは少し厚着をした、まだ大人と形容するには無理のある少女の顔が覗く。
「わー、久しぶりだね、ディエー」
 心底嬉しそうに、少女が顔をほころばせた。
 これでディエーと同じ年と言うのだから、世界は分からない物だ。
「そうね、かれこれ半年振りかしら」
「あ、フォリエルまで」
「先日の取引ではどうも」
 先ほどの表情を微塵も見せないように、フォリエルは軽く微笑んで会釈した。
「それで、ラクハンブルは?」
「まだ来てないよ」
 ディエーの後ろで、フォリエルが安堵の息をついた。
「やっぱりね」
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
 待ち合わせにどちらも遅刻しているなんて、なんだかおかしな話だ。
「ま、立ち話もなんだし寒いから中に入って。寒いでしょ?」
 リィナに促されるまま、二人は部屋に入った。
 中はかなり温度差があり、肩に乗っていた氷が見る見るうちに水滴となっていった。
「ここは汚れても大丈夫だから、椅子にかけるのが嫌ならハンガー出すけど」
「私はいい、いらない」
「俺も」
「うん。それじゃ、コーヒー入れるから適当に座ってて」
 彼らを追い越して、スリッパをパタパタ言わせながら、少女は二、三の咳交じりにキッチンへ消えていった。
「ほら、やっぱり来てなかったでしょ?」
「助かったよ、時間にルーズな人で」
 二人とも羽織っていたものをそれぞれ椅子にかけてそのままその椅子に腰掛けた。
 部屋に唯一ある小さな窓から見える外は闇を十分に吸い込んで暗く、室内にはこの部屋には不釣合いなほどの大きさの振り子時計の音が蓄積する。明るい暖炉のオレンジ色の光が部屋中を照らし出して、赤い石で組み上げられた壁と呼応した色を部屋中に満たしていた。
 そこは、とてもゆるやかな空間だった。
「それにしても意外ね。ラクハンブルがココを使うなんて」
 キッチンから、コーヒーの載ったトレーをもってリィナが戻ってきた。
「ちょっと、秘密裏にやりたいことがあるらしいのよ」
「また悪い事企んでるの?」
 また、と言うだけに留まっているのも、リィナらしい。
「企んでるのはラクハンブルの方で、私たちはただ積荷をこっちまで持ってこられればそれでいいのよ」
「ま、それが仕事だしね」
「でも、途中にドートネルがあったんじゃない?あっちは警察の機構が潰れ掛けているから、お金さえ積めば見逃してくれるんじゃないの?」
 コーヒーを二人の前に並べながら、リィナが言う。
「それがさ、最近警察の再編が出てきちゃって、部署内も結構粛清の嵐よ。急先鋒が………あち」
「急先鋒が意外と頭の切れるヤツでね。最初別の組織が奴等を舐めきってかかってたら案の定お縄になっちゃって」
 ディエーのセリフの続きを、フォリエルが言った。
「まぁ、場凌ぎってわけ」
「ふーん。まあ、私はこうして一般民家にカムフラージュで住んでいるだけだから………」
 軽い咳を一つして、続ける。
「外界の事は良く知らないけどね。でも、大掛かりな取引なら、危なくない?」
「大丈夫よ、その辺の所は。あらかじめちゃんと手を打っておいたから」
「手?」
「実は、元の相棒がこの町に潜伏中らしくてね。捕まった腹いせに持ってた情報全部警察にくれてやったのよ」
「そういえば一度捕まったのよね」
「レイケルベルでね。金を積んでようやく開放してもらったわ。ま、あの時のことを考えれば少しは腹の虫を収まるってモノよ。ホントは思いっきりぶん殴ってやりたいけど」
「よく言うよ、相手の男を裏切ったのは、お前が先だろう」
「相手が死にそうで儲けが独り占めできるって時に、どうして相手を助けなきゃいけないの?」
 ディエーの問いに、フォリエルは溜息をついてその後に続けようとした言葉を飲みこんだ。
「もういいよ。とっとと済ませて帰ろう」
「ま、相手次第だケドね。そういえば私たちも2ヶ月ぶりくらいだけど、貴女、ラクハンブルとは会ってるの?」
 ディエーの問いに、リィナは一瞬だけ顔をこわばらせた。
「………音沙汰ないわ。今回の事も急で、随分焦ったのよ」
 口調には、年頃とは思えない、明らかに老け込んだ様子が見えた。
 カップの中身をゆっくり回しながら、それでもリィナは遠い目をしない。
「俺達もあんた等もあまり誉められた職業とはいえねえからな。ましてやラクハンブルはここいら一帯の有力者だ。忙しいのは分かってるんだろう?」
 フォリエルが横から口を出した。慰めに過ぎないと分かっている事も、ここにいる誰も分かっている。
「でも、もうすぐしたらまた会えるじゃない。ディエーにフォリエルにも会えたし。別にこの町に知り合いがいないわけじゃないしさ」
 力なく、それでも彼女は微笑んだ。