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 ティールへ
 お前がこの手紙を読んでいると言うことは、おそらくエンシュタルテからは離れている、と見て間違いないんだろうな。
 オレはドートネルへ出すように頼んだが、巡り巡ってできるだけ早くお前の手に委ねられていることを祈る。
 しばらく連絡を取れなかったのは、すまなかった。まだ予断を許さない状況だった、というのも正直あったしオレ自身あまり具合が良くないのもある。お前も見ていただろう、最後に撃たれた一発が、運悪く結構深いところに入り込んでいるらしい。
 今、フィンデルロードと言う街にいる。
 ドートネルよりもさらに南だ。
 もう少しで国境にさしかかるくらいの小さな街なんだが、それなりに交易で賑わっている。
 ドートネルさえなんとかなれば、それなりに発展はすると思う街だ。
 今そこのシモンヌと言う娘のところで世話になっている。
 瀕死で街をさまよってたところをひょんなところから助けてもらった。
 住所は後でメモに追記して同封しておく。
 至急来てほしい。

 リカルド・アーシェン

   −9−

 目指す場所は近づいていた。
 警戒の薄くなった貧民街の白いキャンパスに足跡を残しながら、ティールの足は確実に目的に近づいていた。
 血を吐いたためか、足取りは重い。多少、眠気も交じってきているような気がした。
 まだ一度に吐いた量が少なかったため、貧血で気絶することだけは免れたらしい。
「…………」
 慎重に歩を進めながらその扉の前に来た時には、汗が滴り落ちていた。
 白い息の度合いも通常に比べれば激しい。
 肉体的なダメージはほとんどないが、消耗は激しかった。
 それでも。
 『演じ切る』ために。
「………」
 建物の端の暗い路地へ滑り込むと、隙間を通る風がばたばたと、穴の開いたロングコートをはためかせた。
 小さく舌打ちをしてティールはそのロングコートを脱いで、適当に左手に巻いた。もう一方の右手で銃を構えて壁づたいに進んで行く。この雪だ、少しでも妙な音がすれば気づかれる可能性は十分にある。慎重を期するに、こしたことはない。
 小さく開けた裏通りの窓にはカーテンがかかっていたが、少しだけめくれており、中が見えるようになっていた。
 中には子供が一人と、見慣れた女、そして男が二人、テーブルで談笑していた。
 家族が楽しそうに今日の出来事を語っているように見える、その光景。
 それが、実は大量の麻薬の取り引き現場だと誰が思うだろうか。
 少しの間、その光景をティールは無表情のまま見つめていた。
 別段、何の感情も抱いてはいない。
 ただの、知り合い達が行なう非合法の会合。
 一年前なら、あちら側にいたとしてもなんらおかしくのない状況だった。
「…………」
 うらやましくなど、ない。
 胸に訪れては消えて行く思いを振り払うように、ティールは手に握られた鉄の塊を握り締める。
 組織の頭程の腕前ではなかったが、銃裁きには定評があった。
 いくら一年ものブランクがあるとは言え、生きるために身につけなければならなかった技術だ。この距離から、対象の頭を打ち抜くことなどワケはない。
 だが、彼の目的は殺人でない。
 彼もまた、リーデンと同じ目的で動いていた。
 『復讐』。
 実質的に手を下したわけではないにせよ、兄を殺した張本人達をこの手で始末するために。
 一年もの間、目と鼻の先でこの場所が使われることを秘密裏に探っていた。偶然にも、ドートネルが壊滅し、急きょこちらが使われると言う昔の仲間の情報に歓喜さえした。
 ようやく、兄の仇が討てる。
 人に見当違いだと言われようと、ティールは自分が信じた道を行くつもりだった。一年もの間、シモンヌの元で『シモンヌの兄』としての肩書きを背負っただけの見返りと考えている。
 ………だから、簡単には殺さない。
 それを歪んでいると言うのなら、とっくにティールは歪んでいた。シモンヌの兄として生活を続けながら、秘密裏に自分から兄を奪った憎悪の炎だけは消し去らなかった。
 家の中で繰り広げられる『団欒もどき』から、一番幼いと見えた少女が全員分のカップをトレーに乗せて退場する。
「…………」
 全てを揃えてくれた偶然にティールは感謝した。
 こういう時だけ、神の存在を信じたくなる。
 いるはずがないと信じた神に感謝の言葉を短く呟いて、ティールはその窓ガラスを叩き破った。
 緊張が、再びぴんと張りつめられる。
 瞬時に部屋に残っていた二人が自分の獲物を手にしてその窓枠に向けて銃口を向けていた。たった一人、若い青年だけは片手に一つずつもった二丁の銃をラクハンブルとディエーの頭に銃口を定めていた。
 ティールも、ディエーに向けて銃口を向けていた。
「………フォリエル」
 後ろを振り向かず、ディエーが震えた声を上げる。
「悪いな。オレはどうしてもリカルドを裏切れない………お前等の動向を探るために、敢えてお前の相棒を買って出た、と言うワケさ」
「それよりも………意地が悪いですね。地獄から返ってきたんですか、リカルド君」
 銃口を突きつけられても平然としているのは、ラクハンブルだった。彼自らも銃口をティールに向けたまま、微動だにしない。
「貴様等に見殺しにされたからな。死ぬに死ねなくてな」
 ティールは精一杯の調子で皮肉を寄越した。
 噴き出す様々な感情を抑え切ることが出来ない。
 憤怒、悲哀、殺戮欲、羨望、信頼、そして、裏切り。
 様々なものが、ティールの胸を去来しては去って行く。
「銃を置いてもらおうか、先生?」
 あっさりとした口調で、フォリエルが呟いた。
「………仕方ないですね」
 数瞬思案した後、ラクハンブルはそう言い残して銃を窓枠へ投げつけた。
 何かを殴りつけたような音を残して、銃は窓枠のすぐ横へ転がった。
 それを見て、大きな舌打ちを一度してからディエーも同じように銃を窓際へ放り投げた。
 ティールは窓枠をひょいと乗り越えると、その二丁を拾い挙げて窓枠から今来た路地へ放り投げた。
「これから、一人ずつ死んでもらうワケだが、何か言うことはあるか?」
 ティールは目の前の二人に、そう言った。
「死んだと思ってたのに………なんで生きてんのよ!テメェは!」
「動くなよ、ホラ」
 暴れ出そうとするディエーのこめかみにフォリエルが銃を突きつけて、再度脅す。
「やっとあの状態から逃げ出したアタシを追いかけてきて………またどん底に突き落とそうっての!そうはいかないよ!」
「少し黙りなさい、ディエー」
 ラクハンブルがうんざりした顔で、彼女を嗜めた。
「うるさい!アンタはあの時のうのうとドートネルで休暇中だったくせに、偉そうなクチ叩くんじゃないよ!」
 さらに、彼女はまくしたてる。顔に赤みが増してきた。
「あんまりうるさいと、本当に撃つぞ」
「撃てるもんなら、撃って……」
 ドンッ。
 重く響いた銃声の後、こめかみから血を噴き出して、ディエーは虚ろな目と微かに聞超える位の二、三言を残して床に倒れた。
「………」
「引き金間違えなくて良かった」
 フォリエルが、大きく息を吐きながら言う。
「さて、バカが居なくなったところで本題に入ろうか」
 ラクハンブルが半ば嘲笑に近い顔で口の端を歪めながらティールを見つめる。
「ところで、君はティール君だよね?顔がそっくりだから、リカルドが生きてた時も時たま間違えていたんだよ、ごめんね」
「…………」
「リカルドは死んだのかい?惜しい人材だったのに」
「その人間を見殺しにしたのは、どこの誰だ?」
「嫌だなぁ、僕は彼とは盗んできた品物を金に換えるだけの商売上で重要な取り引き相手だっただけであって、彼が捕まったとしても僕が義理立てする必要はないんだよ?」
「だが、エンシュタルテからドートネルへ彼が逃げ込んだ時、何もしなかったな?」
「別に何も言われなかったからね。ディエーは切羽詰ってこっちへ来たけれど……リカルド君はどうにかするあてがあって僕を頼らなかったのかな、ってそう思ったんだけど?」
 にやにやした顔でティールとにらみ合いをしているラクハンブルに、後ろのフォリエルが言葉を出した。
「この一年、オレだって何もしていなかったワケじゃない。一年前のあの日、アジトが発見されて三重の包囲網からリカルドの連れ達が逃げ出した時だ………警察は一通の通報からオレ達のアジトを割り出したらしい。その発信源は………ドートネルからだ」
 今にも殴りかかりそうな口調で、フォリエルが言葉を繋ぐ。
「お前は、エンシュタルテで次第に勢力を増してきたオレ達が邪魔だったんだろう?他の街まで勢力を伸ばせば、均衡は崩れて他の組織のと売買が危うくなる。各街で取り締まりが強化されてしまえばいつか尻尾を掴まれる………そう思ったんだろう!」
 豊かな茶色の髪に銃口を押しつけながら、フォリエルは一気にまくしたてた。
 ラクハンブルは、声を上げて笑い始めた。
「……いや、なかなかおもしろい。そこまで調べ上げるのには苦労したでしょう?」
「ふざけるな!」
 フォリエルの声が、部屋中に木霊した。
「………そうですよ。リカルドは確かに優秀な泥棒であり、盗賊団のリーダーでありはしたが、それは逆に他の団体に対しての驚異になりうる可能性がある、ということ………自分にとって不利な状況はできるだけ避けておくにこしたことはありませんからね」
「そうやって俺達を裏切って、お前は事なきを得たわけか」
 ティールはそう言って、昔語りの幕を閉じた。
 本人からの自供は得られた。
 これ以上、無駄な昔話に付き合う理由はない。
「どこから打ち抜いてほしい?」
 ティールは自分の銃を構えた。
「言ったところで希望が叶えられた試しは昔から一例もありませんよ」
 ラクハンブルは半ば自嘲的に溜め息を吐いた。
「それにね、二人共もうちょっと視野を広げたほうが良かったですよ?」
「ッ!」
 ティールが意図に気づいたときは、既に同時に行動されている出来事が多すぎて全てに対処はしきれなかった。
 突如、血を吹いたフォリエルの胸。
 異変に、気づいただけでどうしようもないフォリエルの顔。
 フォリエルの背後から、少女の持つ小銃が煙を吐いていた。
 懐へ隠し持っていたラクハンブルのもう一丁がティールに向けられ、ティールも迷わずにその引き金を引き絞った。
 それが、ほぼ一瞬に起こった全てだった。

 次の一瞬には、的確に肩を打ち抜かれたラクハンブルと、二発放たれた銃弾の一発を脇腹に喰らったティールが共に後方へ飛び、崩れ落ちるフォリエル、そして小銃を構えたまま駆け寄るリィナの姿があった。ティールは腰の痛みの中でとっさに倒れたフォリエルを見たが、数回びくびくと痙攣したが、その後事切れた。
「ラクハンブル!」
 緊張感が解き放たれた直後に聞こえる、悲痛な叫び声。
 回転式だから連射に関してはラクハンブルに分があるとは言え打ち抜かれた右肩ではもう銃を握ることすらできない。
 ティールは腰から着地した態勢のまま、銃の撃鉄を下げて二人を牽制した。
 リィナが小銃をティールに向けながらラクハンブルの元へ駆け寄った。
「ラクハンブル、大丈夫? ねぇ?」
「さすが、まだいい腕してますねぇ………」
 ラクハンブルの痛みは相当なもののはずだ。動けなくするだけなら、いつもの慣れた急所にぶち込めば良かったのだが、ふらつく頭のせいで多少狙いがブレていた。狙っていた場所と若干だが食い込んでいる場所が違う。
 脇腹に食い込んだ猛烈な痛みがぼやけた頭を覚まし、腰から噴き出して流れる血がタイムリミットを告げている。
「これだけやれば、警察も来るだろうな」
 リィナの肩を借りて、ラクハンブルは立ち上がった。血塗れになった左手には銃が握られているが、おそらくほとんど役には立たないはずだ。
 リィナがティールに銃口を向けたまま、ゆっくりとラクハンブルを促しながら後ずさった。
「…………」
 ここで、逃げられるわけには行かない。
 壁を背にして、ティールもなんとか立ち上がるが、痛みは座っている時の数倍に達した。気が狂いそうになるほどの痛みを堪えたまま二人を見やる。
「リィナ、後を頼みますよ」
「…………うん」
 静かなやりとりの後、ラクハンブルは拳銃を肩口に当てたまま、戸口へ駆け出していった。
「ラクハンブル!」
「動かないで!」
 互いの銃口が睨みあう。どちらの銃口もそれぞれの理由で震えていた。
「………そこをどけ」
「どかない」
 どちらも引かない、平行線の勝負が始まる。互いの視線がそらされぬようにぶつかりあう。ティールは少女の面影に一瞬シモンヌを見たが、それをあわてて掻き消した。
「彼を、見逃して」
「…………」
「ダメなお願いなのは分かってる………その為にアナタが命を張ってここまで来たのも分かった……でも、私は彼にだけは死んでほしくない」
「………勝手だな」
「自分勝手じゃない人間なんていやしないわ。身寄りのいなかった私を助けてくれたのは、彼だけだった………どうせ、あのまま死んでもここで死んでも同じ。なら私は彼を守って死にたい………少しでも役に立って死にたい」
「好きにしろ」

 瞬間、銃声が交錯した。

「…………」
 片方は見当違いの窓枠の縁へ、もう片方は対象の足下へ打ち抜かれていた。
 リィナは呆然としたまま、銃をその小さな手から落とした。
「扱いには慣れていないようだから、利用させてもらった。覚悟のないヤツに、銃を扱う資格はない」
 小銃の弾数は、二発。
 フォリエルを貫いた一発と、ティールを外して窓枠に突き刺さった一発。
 よって、小銃には残る弾丸がない。
「行かせてもらう」
 少女にとっては残酷な一言が青年の口から放たれた。
 少女は呆然としたまま、ただそれを止めるべく彼の前に立ちはだかった。
 もはや、本能と言っても良かった。
 つかみかかり、精一杯の力を込めて彼を押し止める。
 彼が一秒でも遠いところへ逃げられるのなら。
 目の前の青年の持つ銃で撃たれても、もう文句はなかった。
「…………」
 しかし、彼はその力を受けても微動だにすらしなかった。脇腹に一撃を加えようとしたが阻まれ、無言のまま容赦ない一撃が彼女の頬を叩いた。
 見るからに軽い体はいとも簡単に崩れ落ちる。
 しかし、彼女はすぐに起き上がると彼に飛びかかった。
 再び力の限りを、彼に尽くす。
 今度は、髪を掴まれて乱暴に振り払われた。
「恨むなら、恨め。今度はお前達が悩み苦しむ番だ………その役割を担うために、お前だけは残してやる。残された物だけを抱いて死んでしまえ。それでこの物語も終わりだ」
 ティールの言葉に、リィナは自らの無力さを知った。
 気づかぬうちに頬を伝っていた涙に気づいて、その感触を拭って確かめる。
 男は脇腹の傷をもろともせずに駆け出していった。
 しばらくしてただ一人、がらんどうになった空間の中にいたリィナがその空白に気づき、ようやくその涙に呼応するだけの声を上げて、夜の空へ泣き叫んだ。