「ふぅ」
最後の皿を丁寧に拭き終わって戸棚においてから、私は息をひとつ。
これで、昼食の片付けは終わり。
今日はトモヒトは外なので一人だったから、朝昼合わせても、あまり数が多くない。
「………」
見やる窓の向こう側。
寒気のためと少し開けたそこから、先ほど降りだした雨が見えた。
さぁさぁと降り続く雨は、白いラインを真下へと引きながら、階下の石畳へと溶けてゆく。統一された音は雑音にならず、私には不可思議な居心地の悪さを与えた。
せっかくの休みがとれたって、これでは面白くない。
さっき急に雨が降ってきてしまったからシーツは取り込んでしまったし、夕食の買出しはトモヒトが帰りがけにやってくる。
かといってこれでは外に出るのも寒い。
せめて借りた本があればすごせるのだが、生憎この前読み終えてしまっていた。
トモヒトがたまに突拍子もないアイデアを出すこともあるが、彼もいない。
そうすると、消去法で残った選択肢の「寝てしまう」を選ぶのもなんだか癪に思えてきてしまった。
「………八方手詰まりか」
一通り考えたところで誰もいないのをいいことに台所で呟いてみるが、当然返される言葉もない。
とにかく、ずっと立っているのもなんだから、汲み置きの水を一杯洗い立てのコップに注いで、私は居間の方へ戻った。
テーブルには、読み終えた昨日新聞が一部無造作に置かれているだけで、後は何の変哲もない、私達の家の風景が広がっている。
「…………」
やはり、窓の外は雨。
閉め忘れた台所の窓から、ひんやりした空気がそろりと家の中に入ってくる。今更閉めに戻る気もないので、私はコップと共に居間にことりと落ち着いた。
昼過ぎに帰ってくるといっていたトモヒトは雨宿りでもしているのか、まったく帰ってくる気配を見せないまま、入居時から壁に立てかかったままの時計は二時を回ろうとしている。
いつになったら帰って来る、か………。
記憶の端に引っかかる思いを、即座に振り払う。
でも、その思いを忘れさせてくれるだけの状況は、今はなかった。
「…………」
水で唇を潤しても、心がまとう不安は雨の音のように消えない。
………これ以上を望んではいけない。
心のどこかで鎖にしていた言葉が、湧き上がる思いを縛り上げる。
私が一人でいないのは、孤独を味わうことがなかったのは、トモヒトのお陰なのだから。
視線を細めて、コップの端をなぞる。
半分位入った水が、ゆらりゆらりと私の顔をぼやけさせる。
いっそ、そのままボケていてくれたらいいと、思うのだ。
そう遠くない日にトモヒトは、ここを出て行く時が来る。
待ち続けることを選んだ私に、いつまでも彼が付き合うことはない。
それは、幸せになるための当然の権利と義務。
「…………」
でもその時、私は彼のいない生活に耐えられるだろうか。
孤独に耐えていけるだろうか。
もしかしたら、トモヒトが傍にいるのだって、それをしって――――。
「…………バカヤロウ!」
気付けば私は………
私は、自分を叱咤して、殴っていた。
手加減は反射的に行っているから大したものではない。
だが、頭蓋を貫いたような衝撃の余波と、手の甲に残る確かな感触だけが、私が今自分にしたことを、物語っていた。
掌を広げてみれば、やけにじっとり汗ばんでいた。
おそらく、それが自分の奥にある「答え」。
自分でも揺り動かすことの出来ない、思い。
「………」
私はコップの水を飲み干して、吹っ切ったように一度息を突いた。
さあ、トモヒトの帰りを待とう。
…………一時間でも、二時間でも、ずっと。
−−−
トモヒトが帰ってきたのは、三杯目の水を汲みに行って、席に着くと同時だった。
玄関先があわただしくなったので、雰囲気ですぐに分かった。
「ヒロー、タオル持ってきてー」
帰ってくるなりそれか。
ちょっとむっと来たものの、トモヒトは私の気持ちなど知る由もない。むしろ、知らなくていい。
だが、濡れたまま侵入されても困る。
「ちょっとそこ待ってろ」
扉一枚隔てた居間から声をかけてやり、タンスの中から長めのタオルを物色する。
打ち据えた頭がじんと痛んで、私は苦笑いをかみ殺したまま、玄関に向かう。
そして―――違和感に気付いた。
「………」
「………」
互いの視線の間で、何が起こったのかは互いによく理解できた。
やっと続ける言葉が出て来た時には、私は言うべき言葉を既に持っていた。
「ねぇ」
「却下」
私は、相棒のトモヒトをみるなりそういった。
窓の外は勢いを無くした小降りの雨が降り続いている。
彼の腕の中には、猫が一匹。
それで全ての状況は把握できる。
[Carefree 1 「あめとねこ」へ続く]