ずぞ………ずぞぞぞー。
「…………はぁ」
目の前に広がる惨状に対して、私はついに耐えかねて溜息を漏らした。
「ん?」
フォークを片手に、溜息の原因はその溜息に無邪気に反応する。
「……どったの?ヒロ」
コップの水を飲み干して、目をぱちくりさせる目の前のトモヒト。
まぁ、自分のクセって気づかなかったり、他人が異様に気になったりするもんだけれども。
ちらり、視界の端のほうで、カウンターバーの客の一人がうざったそうな顔でこっちを睨んでいる。気づけば私達の他に客がいないのだから、もちろん店主だ。
でかい仕事の給料日だったトモヒトが外食でもしないかと言われたので、軽食屋を選んでしまった自分に後悔しそうになる。
「………いや、あのさ」
「ん?」
「………パスタなんだけどさ」
「うん、おいしいよ?」
ちゅるん、と口の端をひっぱたいてパスタがトモヒトの口の中に入った。そりゃ、毎度行われる給料日の前数日の惨状からすれば、何を食っても美味しいだろうに。
「そうじゃない」
「じゃ、なに?」
トモヒトはなんら考える気もないようで、すぐに答えを仰ぎながら、続きを口の中に入れた。
「いや、人それぞれなんだけどな………普通、ずるずる言わせて食べないだろ」
「ああ、これ?」
フォークに巻かず、でろんと伸びたパスタが私の目の前に滝を作る。
そのこと自体が既に行儀悪いといえば悪いのだが、トモヒトはそんなこと気にしてない。
誘ったトモヒト自身が気を遣っているのか、一番安いパスタだった。
「巻かないのか?」
「んー………兄弟多かったからね、悠長に巻いて食べてるとなくなってたから………」
どこか上の空な視線を返しながら、ずるずると音をさせる。
わざとではないのは分かっているんだろうが、視線の端で店主が我慢してるのが見えた。
「でも、フォークで食べてなかったって、じゃあ何使って食べてたんだよ」
「え?ああ、あれ。あれのちっちゃいの」
そういって指差した先にあったのは、まだ湯気の出ているパスタ鍋だった。
「鍋?」
まさか茹でたてを手づかみで?
「違うよ。あれに入ってる、パスタサーバ」
私が釈然としてない顔を察したのか、少し呆れながらトモヒトが言った。
パスタサーバというのは、鍋の中でパスタをいじるもので、柄の長いしゃもじのような形状のすくい上げる部分にいくつもの突端があって、そこに実際からませてすくいあげる。
バイト先で使っていたことがあるから知っていたが、あれの小さい奴など聞いたことがない。パスタを茹でる鍋は基本的に底が深いので、その深さに匹敵するだけの長さが必要なのだ。
「変でしょ、やっぱり」
「んー………まあな」
「基本的にウチは食器が買えなくて手製だったから。フォークだとすぐ穂先が丸まったり、折れちゃったりするんだよ。ボクのはどっかからもらってきた奴だったらしいけど」
「あ………」
つとめて軽く話そうとしてくれているのか、トモヒトの顔は苦笑いだった。
「気にしなくていいよ、昔のことだし」
「………」
「こういうのって残るんだね、やっぱり。気づかなかったよ」
わざとパスタをくるくる巻きながら、トモヒトがぽつり言った。
初めてやっているのか、ぜんぜんうまいこといってなくて、回すたびに絡まり損ねたパスタがぱたりぱたりとフォークを叩く。
「そりゃそうだろ。自分はこれでいい、って思ってやってるわけだからな」
「それより、ヒロは本当に食べないの?」
「ああ、なんかお腹空かないんでな」
事実を伝えたつもりが、やっぱり目の前のトモヒトは疑いのまなざしだ。
無理もない、給料日前に似たような状況で自宅の晩飯を抜いたことがあるからだ。
その時は、トモヒトが「自分の知らないトコでいいもの食ってきたからだ」とわけのわからないことを言って私を怒らせたが。
「それに、明後日届ける内職は昨日で終わったからな。今日はやることないし」
久しぶりに見る別の家のコーヒーカップを両手で包みながら、三分の一ほど残った水面に自分の顔を映す。
コーヒー自体、愛飲してないから飲むのも久しぶりだ。
普段飲まないから、いつも砂糖を多めに入れて甘いのを飲んでいたが、食欲の妙も手伝ってか、今日は胃が壊れるようなブラックだ。
「まぁ、ヒロがいいならいいんだけど………」
くるくる回しすぎて団子のようになったパスタを口の中に放り込みながら、トモヒト。
今の一撃で既に皿の中は決戦終了状態になりつつある。
トモヒトが気になっていてあまり周りを見ていなかったが、かちかち音を立てる壁際の時計は既に午後二時をいくらか回っていた。ついでに見渡す窓の外は、午後の市がそろそろ始まる時間で、ぞろぞろと大通りへと人が歩いてゆくのが見えた。
「そういえば夕飯どうしようか、トモヒト」
「自分が食べてないからって、昼を食べてるときに言わないでよ、ヒロ」
「それもそうか。だけど、買いに行かないと何もないぞ」
「あ、そっか」
「なんならパスタでもやろうか?」
私が言うと、トモヒトが軽く顔を不満そうにした。
「意地悪」
「ウソだよ。ま、給料明けだしラザニア辺りが適当かな」
頭の中でレシピと材料を並べながら、帰りに寄る露天と店をピックアップする。
「ハカマダの店には寄るの?」
何を考えていたのかわかるのか、トモヒトがついに皿を空にして言った。
「ああ、ちっちゃいバターはあそこでしか売ってないから」
「結構遠回りになっちゃうね」
「仕方ないだろ。安い品物を手に入れるためには足で稼がなくては」
「貧乏暇なしか、とほほ」
やることは決まったから、私ももてあまし気味だった苦いコーヒーを飲み干した。
苦い顔をする前に、トモヒトが驚いた顔をしたので咄嗟に無理をした。
「うわ、大人だ」
「お前が子供過ぎるだけだ」
毅然と言って、立ち上がる。
「ひどい」
「さ、奢りなんだろ?景気よく払ってきたまえ」
「あ、うん。先に出てて」
トモヒトはテーブルの上のレシートをつかんで、カウンターの方に向かっていった。
店主がどんな表情をするのか見物だったが、客相手にあからさまな態度は取らないようで、一安心。
そして、私は飲み干したコーヒーカップに視線を移して、溜息をついた。
飲み干したときに、気づいた。
「………クセ、か」
砂糖とミルクはセルフなので、とってこなければならない店だったから、思わずクセが出てしまっているのに気づいた。
久しぶりだったためか、どうやら直っていなかったようだ。
「………人のことは言えないな」
コーヒーカップの中に入れっぱなしだった簡素な金属製のフォークを受け皿において、私は入り口の方へ歩き出したトモヒトの後に続いた。
[終]