「で、出たぁッ!」
夕暮れ時。
台所にいたトモヒトが奇声をあげた。
求人広告に目を通していた私は、反射的に顔を上げる。
………?
今日は珍しく難しい料理らしいから、分量を失敗したのなら分かる。
………「出た」ってなんだ?
「ヒロヒロヒロヒローッ!」
人の名前を軽々しく連呼しながら、トモヒトが泣きそうな顔でキッチンからこちらへ走ってきた。
もとい、突進しながらこちらへまっすぐ向かってくる。
ばぼぅん。
部屋が狭いので紙一重でかわすと、トモヒトは対象の私を見失って午後に取り込んだ洗濯物の山に、ダイブした。
「うう………いたい」
「私はハカマダの店の特売日に財布の中身がないほうがイタイ」
さらりと冗談で切り替えした後、真顔になってやる。
「で、何が出たんだ」
「あいつだよ、あいつ!」
台所を指差しながら、おびえるトモヒト。
その姿はいつもどおり、でかい上にうざい。
「あいつって、あの黒いアイツか」
台所に出没する通称「アイツ」なら幾度となく出会ったことがある。駆除するまではいいのだが、実際問題はその後の処理だ。
「きょ、今日は違うんだ。レベルが違う」
「そんなにでかいのか。人を食うか?」
「そうじゃないって!」
あわてふためくトモヒト。
私は求人広告を閉じると、椅子から立ち上がった。
見た方が早いらしい。
台所へ数歩の距離を移動する。
私の後ろで情けない顔をしたトモヒトがフライ返しでその奴のいた場所を指差した。
今は何もいない。
「あ、あそこにいたんだよ」
「だから、何が」
ちゅう。
意味不明な反応が返ってきた。
「………そ、そそそ、それそれそれ」
ろれつの回らないトモヒトが、フライ返しで私の足元を指差した。
「……?」
足元に、丸い塊が鎮座していた。
つぶらというよりはもう不気味な瞳でこちらを見上げている。
ちゅうっ!
「なんだ、ネズミか」
正直、気が抜けた。
「ひ、ヒロヒロヒロ、危ないよッ!」
「何がだ」
「何か病気を持ってるかもしれないよ!」
「触られなければな。こうすればいいんだ」
私は開口一番、足を大きく上げると、足元に思いっきり落とした。
自分でも驚くくらいの衝撃音がして、アパート中が思いっきり揺れる。
ネズミはそれに驚いて、右往左往した挙句にキッチンのどこぞへと消えていった。
「…………った〜、驚いた〜」
トモヒトがフライ返しを両手でつかんで座り込んだ。
「なっさけないなぁ………ったく、ネズミくらいで大騒ぎするなんて」
「仕方ないだろー?ヒトには苦手なものの一つや二つくらいあるんだから」
まぁ、確かに苦手なものがないことはない。
そして、それが今からやってくるのは間違いない。
ドンドンドンッ!
間髪いれずノックされた音で、私は次の敵が来たことを悟る。
「あ」
「そうだ」
「おーい、小僧ドモ!ワシのアパートでなにやらかしとんじゃ!」
ドアの向こう側から奴の声が聞こえる。
「ネズミが出たんで追っ払っただけです〜」
「心配いりませ〜ん、逃げましたから〜」
こういうときだけあわせ方が絶妙。
「もうちょい同じとこにすんどる住民に迷惑かけるなよ、小僧ドモ!」
『はーい』
「ところで、小僧ドモ………」
………やばいッ!
「すいません、俺たちこれから出かけなきゃいけないんで!」
「今から短期バイトの面接なんです!家賃は絶対に来週までには払いますから!」
そういって払ったためしはないが。
「絶対来週までじゃぞ!破ったら出て行ってもらうからな!」
この状態ではどうにもならないことを早々に悟った大家は、捨て台詞だけを残して家から去っていった。
壁が薄いので、外の様子が良く分かるのが寂しいところだ。
「ふぅ」
仰々しく溜息をつくと、トモヒトが笑った。
「相変わらずだね、大家のおじちゃん」
「……悪かった。以後、気をつける」
「いいよ、ネズミ追っ払ってくれたことだし」
トモヒトが立ち上がった瞬間だった。
「トモヒト」
「ん?」
「なんか、臭くないか?」
「………あーッ!」
料理中のフライパンから、やけに黒い煙が立ち込めていた。
「ごめん………」
そういったトモヒトと私の前にあるのは、白米と黒こげになった魚肉ソーセージだった。
一応皿に並べてみたのだが、食えるのかどうかは微妙なところだ。
「………」
一応、ネズミをのろっておこう。
「さて、気を取り直して食べますか」
「え?」
トモヒトが意外そうに顔を上げる。
「食って食えないことはない……と思う」
「ヒロ………」
「どうせおかずもこれ以外にないしな」
そういって、私たちは箸をとって声をそろえる。
『いただきます!』
その後、嫌いなものに「焦がした魚肉ソーセージ」が追加された。
[終]