『みちやざき、みちやざきです』
アナウンスがそう告げると、スライド式のドアがゆっくり音を立てて開く。
開ききった後に訪れる一瞬の静寂を潜り抜けるように、私はホームに降りた。
「…………」
春を多量に含んだ風と入れ違いに降りるホームは、対照的に冬の凛とした空気が張り詰めている。
そのくせ、上がって間もない日差しは柔らかく、ほのかに暖かい。
朝だからではなく、この駅はとにかく降車が少ない。
元々、列車の乗り換えのためだけに作られた無骨で簡素なホームには、装飾はおろか屋根すらなく、木造りの長椅子が一つ申し訳程度に置かれているだけだ。
「ふー」
白い息を一つ零しながら、私はいつも通り、その木造りの長椅子に腰掛ける。
朝だから、電車の待ち合わせには少し時間がかかる。
「ずいぶん、お疲れだな」
長椅子に座っていた先客から、言葉が漏れた。
「え」
微動だにしないから寝ていると思っていたその口の端が、意地悪そうに歪んでいる。
「うっわ、めずらし。起きてる」
思ったままを口にしたら、目の前の男がむっとした顔を作った。
「さすがに今日くらいは起きてるよ」
「起こす手間が省けて何よりだよ」
彼は立ち上がると、すっと私を影で覆って、薄く笑った。
「ま、最後くらいは、な」
「…………」
「お前のとこは、八日だっけ、卒業式」
「うん」
「そっか、じゃあ、まだあんだな」
「まぁ………でも後一週間だし」
ひとりごとのように言って、私は胸に押しかかるものを振り払うように、空を見上げた。
蒼く、どこまでも遠い、冬の朝。
別れの日としてなら、申し分ない。
「…………今日で、最後だね」
「そーだな」
浅川があっさりと返してくれるだけ、気が楽だった。
腐れ縁とでも呼べばいいのか、高校が別になっても、偶然この男とだけはこの場所で会う羽目になった。
私は、次の列車待ち合わせのための八分間。
浅川は、私が乗ってきた電車が発車するまでの十二分。
どちらも暇をもてあましていて、中途半端な時間を不思議と共有していた。
それも今日、浅川の卒業と共に終わる。
明日からは私の卒業まで、この駅で出会う人は、おそらくいない。
「浅川」
「ん」
「寒いからそこどけ」
こんな寒い時にいつまでも影を作られてはたまらない。
「ん、ああ、悪い。ってか、もうちょい言い方ないのか」
「ない」
「………ったく、最後まできついな、お前」
伸びを終えた浅川は首をこきこき鳴らしながら、元の場所へ座る。
こはー、と冗談で吐き出されたすごい量の白い息に、私は少し笑った。
「でも、これで浅川ともお別れかー」
「中学から足掛け六年。とんだ貧乏くじを引いたな、河野」
「まったくだよ、朝、ここで寝てるアンタを何度起こしたことか」
「あー、はいはい。いくら感謝しても足りねぇよ」
実感のこもらない言葉を返して、彼の大きな手が私の頭に載った。
乱れるから嫌だったけれど、今日だけは特別。
私は何も言わず、そのままぐしぐし撫でられてやった。マッサージみたいで少しだけ気持ちよかった。
「なぁ、河野」
「なに」
撫でられていた時に下に向けたままの視線を、私は動かさなかった。
顔を見たら、泣いてしまう自信があった。
「ありがとな」
「…………どういたしまして」
つとめて軽く言葉を放って、顔を上げる。
その時、スピーカーが雑音混じりに、待ち合わせの到着予定を告げた。
「もう、来ちゃうのか」
「もう八分だな」
時計を見ながら、浅川。
「仕方ないよ、今日だけ八分間が伸びるわけじゃないし」
鞄を持って、私は立ち上がる。
障害物がないから、向かってくる電車はすぐに見えた。徐々に距離をつめながら大きくなってゆく。
「………会おうと思えば、またいつでも会えるだろ」
「ま、そうだけどね」
でも、それは違う。
次に会う時の浅川はきっと私の知らない浅川で、こんな風に話すことはきっとできない。
それが分かっているから、私は彼との別れを惜しんでいるのだから。
「………」
「………」
来た時と同じ二両編成の小さな電車がホームに滑り込んできて、私の時計で八分が終わった。
電車がつれてきた風で、一度大きくその場がざわめいた。
「浅川」
私に呼び止められて、座っていた浅川がこっちを見上げた。
吐かれる白い息が、朝日の中、ひときわ光っているように見えた。
「……?」
「………あの、さ」
どことなく「反則」なのは分かっていた。
時間切れという選択肢が「卑怯」だということも。
だけど今なら、言ってみるだけの権利は私にもある。
少しだけ言うのを躊躇ったあと、私は手を差し出した。
「ちょうだい、第二ボタン」
「………は?」
ぽかんと口を開ける浅川と私の前で電車の扉が開ききって、駅の時計の八分が終わった。