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『みちやざき、みちやざきです』
アナウンスがそう告げると、スライド式のドアがゆっくり音を立てて開く。
開ききった後に訪れる一瞬の静寂を潜り抜けるように、私はホームに降りた。
「………ふー」
卒業式の予行演習なんて、肩が凝るだけだ。
三年は受験の都合で自由登校になっていたから、久々に仲間と話せて楽しかったのは確かなんだけど。
低くたなびいている雲はオレンジ色の陽光に照らされて、光と影の明暗が朝よりもくっきり現れていた。
やっぱり、夕方というのにホームは閑散としていた。
時折、近くを通る少し大きな道路から車の音が聞こえてくるくらいで、ベンチの黒い影が長く長く、どこまでも伸びて…………。
「…………?」
ベンチの影が、おかしい。
「ぐー」
でっぱった黒い影は、見覚えのある影をしていた。
そして、だらしなく口をあけていた。
「………ぐー」
「浅川…………」
長椅子には腕を組んだまま、完全に熟睡した浅川がいた。
寝顔が惜しげもなく至福に満ちており、たぶん、そのままにしておいたら起きないはずだ。
「…………」
『通り過ぎてしまおうか』
最初に一瞬だけ、無情な考えが頭をよぎった。
でも、電車は来ない。
その間、ずっと息を殺して知らないふりをしているのには、耐えられそうにない。
原因はたぶん、私にあるのだから。
「浅川」
いつも起こす時のように、肩に手を当てて、軽くゆする。
肩がぴくり、動いた。
「………こんなところで寝てたら風邪引くよ」
「………ん」
寝惚け眼だったけれど、こっちを見た浅川の目はいつも通りじゃなかった。
その目が本気な分だけ、怖かった。
「…………私を、待ってたの?」
「賭けは、分が悪いと思ったんだけどな」
「電車が来てたら乗ってたよ」
「むぅ、田舎電車に救われたか」
頭を掻きながら、浅川は寄りかかっていた姿勢を直した。
そして、グーを差し出した。
「ほれ」
「………」
「急に言うから、ドア閉まる前に取れなかっただろうが」
「………え」
「お前が欲しいって言ったんだろ」
「………え、あ、あれは」
「……?」
「ものの弾みというか、なんと言うか」
「なにが弾みだよ。これでも後輩から言われたのをわざわざ断って来たんだぞ」
「…………」
そういわれれば言われるだけ、あの時に出た言葉が重い。
そりゃ、浅川のことは嫌いじゃない。
でも、なんで、今になって言ってしまったのか。
「といっても、ウチ男子校だから、後輩って言っても男だけどな」
「………」
「まあ、とっといても仕方ないし」
「…………ごめん、わざわざ」
「……どういたしまして」
面倒くさそうな顔をした後、彼は笑った。
やっと出した私の掌に浅川の手がそっと乗ると、開いた手の隙間から、色あせた色の金色ボタンがころりと落ちた。
「…………」
「まぁ、今まで起こしてくれた代金だと思ってくれ」
「その点だと、割が合わないかも」
「第三ボタンもやろうか?」
「いらない」
やはり、朝とは違ってさすがに八分も待ち合わせはない。
アナウンスがしたと思うと、十秒もせず反対ホームに電車が来た。
「やっぱり、夕方だと違和感があるな、お前の顔」
電車に乗り込む際、ぽつり、浅川が言った。
「どういう意味?それ」
「そのままの意味」
唐突だったので答えを問いただすこともできず、けたたましい発車ベルの中、浅川の顔は、電車のドアに遮られた。
ただ、最後に見た浅川は、私のために泣きそうな顔で笑ってくれていた。
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たたん、たたんとレールの継ぎ目がはじき出して揺らす音は、いつもと同じで少し駆け足のリズムを刻む。
目の前を流れていくド田舎の静かな風景を半分寝惚け眼のまま見ながら、二両編成のぼろい始発列車はあいも変わらず私だけを乗せて進んでゆく。
手の中に残る、はっきりできなかった物語の結末を握り締めて。
「…………」
浅川へ小さくさよならを告げて、私は眠りに落ちた。