−牧野淳也−
「…………」
教室に入るなり、窓際にいた静宮有香がはっとしたような顔で俺を出迎えた。
視線のかちあった彼女は合図されたかのように、座っていた机から立ち上がる。
彼女を知らない者なら思わずはっとしそうな端正な顔は今、明らかに俺を睨んでいた。
半ば蔑むような視線だけが、張り付いた表情から浮いているのが分かったが、俺は何も反応せずに彼女に向かって一言。
「帰らなかったんだ、お前」
「牧野が戻ってくるの、わかってたから」
きつい口調をさらりとかわし、入り口と静宮のちょうど中間辺りにある机のところで立ち止まる。
端にかけてあった通学鞄をとって、机の上へ。
「………どうなの」
「なにが」
使い込んである教科書や参考書、机の中身を全部出して、鞄につめながら聞き返す。
本当は聞かなくても分かっていたが、睨みつけてくる静宮を黙らせるにはこれくらいでちょうどいい。
「………」
「………まだ寝てるよ」
黙りきった静宮へ告げると、視線がふっとやわらいだ。
心なしか肩が降りて、下を向いた顔から深い溜息を漏らした。
「そう」
「……そんな気になるなら見に来いよ」
「それで彼にしおらしくごめんなさいって言うの?」
きっぱり言い切るものの、その言葉尻にいつものようなキレがない。
窓の外、遠くを見ている顔にはいつも彼女が持っている覇気はなかった。
「一つ聞くが………顔を見てやろうって気はないのか」
「どんな顔して会えっていうの」
「知らねえよ、んなこと」
つとめて面倒くさそうに、俺は顔を上げた。
持ち上げる小さな鞄は、少し重い。
だが持ち主の物持ちが良すぎることを証明している五年目の鞄は、ボロボロでもしっかりしていた。
皮肉なことに、持ち主よりも。
「牧野は」
「え?」
顔を上げて、眼が合うまでにしばらくかかった。
彼女が、こっちを向いていなかった。
「牧野は………私のことをどうも思わないわけ?」
一瞬心の中を見透かされたような気がして、全ての動きを止める。
何の感情も抱かないような、冷めた瞳にありったけの無表情で見返す。
「どう、って?」
「悔しくないわけ?友達を、こんな風にされて」
どこまでも、きん、と冷えるような視線だった。
質問というよりは怒りをそのままぶつけられているような、そんな感覚。
だが、俺にとってはただのクラスメートにそこまで言われるような覚えはない。
「こんな風って………よく言えたもんだな、当事者の癖に」
「当事者だから、余計に気になる。何があったかは、知ってるんでしょ?」
自虐的に問う彼女の眼には、鋭さが増していた。
確かに、俺は知っていた。
そして、その十中八九が、似たような声で統一されていることも。
クラスの誰からも信望のない、冷徹な彼女の非を望む声。
実際なにがあったかなど、当事者以外にとってはどうでもいい。
『静宮が篠田を、人気のない場所の階段から階下へ突き落とした』
確証なく、全ての物事は本人達にはまったくの了承なしに、暫定的に決まっていた。
「…………」
「教えて、友達って、それくらいのものなの?」
あくまで他人事のように、静宮は俺を無視した。
「………お前がそれを言うか」
「牧野と篠田の間って言うのは、そんなもの?」
あくまで冷静な静宮の態度が、癪に障る。
彼女の頬に差す夕暮れの赤が多少、蒼のイメージだった静宮を攻撃的に見せた。
「それじゃ俺は、あいつを突き落としたお前を一発殴ればいいのか?」
「それで気が済むのなら」
「気が済むのはお前だろ」
吐き捨てるように言って、彼女の『負け』を見やる。
かたくなに崩さなかった表情の変化は否めず、静宮は苦い顔を一瞬した後、窓の方を向いた。
夕日を受けて影を作る背中が、ひときわ小さく見える。
何か声をかけようかとも思ったが、具体的な言葉は浮かんでこなかった。
「………牧野」
不意に、夕闇に沈むように背を向けたままの静宮がぽつり俺を呼んだ。
「なに」
「………」
「………なんだよ」
「篠田は、運がなかったし、バカだよ」
「は?」
問い返す俺の言葉に、静宮は微笑を持って振り返った。
近くにあった鞄を取って、こっちに歩いてくる。
「………本当にごめんって伝えて」
すれ違い様、短く。
そのニュアンスの違いが、彼女が持っている本音のような気がした。
「おいっ、静宮!」
振り返って呼び止めても、静宮は応じなかった。
そのまま、廊下へ、階段へと長い影を引き連れて消えていく。
「…………」
その背中が消えた後も、俺はしばらく夕日の差し込む廊下を眺めていた。