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 雪がちらつき始めたのをみて、その空を先程から不安げに見つめていた馭者は一つ、軽い舌打ちをした。
「とうとう、降ってきたか」
 舌打ちをした馭者のすぐ隣のベンチに座っていたあまり整いの無い服装の男もまた、空を見上げながら言う。
 雨ならまだしも、雪が降ると後々路面が凍るので、石畳で町中を突っ切ることができなくなってしまう。一応町外れには停車場はあったが、それでも不自由と言うものはないにこしたことはない。
「………時期も早いのにご苦労なこった」
 まだ、季節は晩秋に入りかけの頃だったから、馭者の言うことももっともかも知れない。
 今日は雨雲が近づいて、気温がぐっと冷え込んでいたから町でも雪の噂は絶えなかったと男は聞いていた。
 実際降られてみると、やけに身を切るような冷たさの風が体に堪える。
 男は話題を変えた。
「そう言えば、冬は馬車の数は減るんだろう?」
「ああ。隣町とは折り合いをつけてあるらしい。あっちも降っていたら、多分次に来るのが最後だろうな。去年、冬の事故が多かったから、夜の運行は制限することにしたらしい」
 紫煙をその白と黒の織り混じりつつある景色に燻らせながら、馭者は男の隣に腰掛けた。
 町外れを好んで夜通ろうと言う人間はあまりいないので、停車場はしんと静まり返って、男と馭者しかいない空間を雪が埋めて行く。
 男も馭者も、しばらくその晩秋と思いがたい光景の中で、しばし言葉も交わさずに座っていた。
 やがてどちらかが「屋根に入ろうか」と言い出そうかと思い始めた頃、隣町からやってきた最後の馬車が駆け込んで来た。雪が降って路面が凍ると面倒なので、多分少し駆け足でやってきたに違いない。
 馭者はその馬の疲れを悟ってそんなことを考え、降り口のすぐ側に歩き出した。
 タイミング良く馬車が降り口へやってきて止まり、馭者は降り口の近くにあった簡易階段を馬車の降り口に適当に寄せた。
「よう」
 馬車の上から、声がかかる。知り合いの声だ。
「ああ。隣はもう降り始めたのかな?」
「ずいぶん前から降っていたがね。この人がどうしても、というのでな」
 少しくぐもった声で、手綱を引いた馭者は言った。
 会話に加わろうとしたのか、ドアが開いて中から中年の少し痩せた男が現れた。
「無理を通したのさ」
 声は、馭者とは対照的に淀みもなく、奇麗だった。
 男はその手に少し大きめのバックを片手に、その上に乗っていた帽子を頭の上に、ジッポライターをベージュのロングコートの中に突っ込んで、さっき馭者の置いた簡易階段をかったるそうに降りてくる。
「無理ついでに一つ教えてくれ」
「なんだ?」
「警察って、どこにある?」
 その時、馭者の二人は初めて男の鋭い瞳を、その帽子の下に見た。