「はあぁっ!」
短い息が、冬の澄んだ空気に霧散する。
かぁん、かきゃあん!
「おおッ!」
…………三度目ッ!
鋭い返しを紙一重でかわして、俺は振り落ちてきた木刀を木刀で下から払い上げた。
かぁーーーーんっ!
今夜、静けさを打ち破る一番大きな音が響くと、相手の持っていた木刀が手からすっぽぬけて遙か頭上を回転しながら、後方に叩き落ちる。
木刀が板の上に立てる残響音と、すぐに波のように戻る静寂の中。
「…………もう、やめようぜ」
俺の呟くような声に、目の前の少女がきっと顔をこわばらせた。
泣きそうな顔のまま、後ろに弾き飛ばされた木刀を拾い上げて。
凛とした態勢で、再び切っ先をこちらに向ける。
長く艶のある髪が、蛍光灯の光を受けで揺れてきらめいた。
「…………」
………ため息一つ。
わけの分からないまま、俺はあまりに手に馴染まない木刀を構えなおした。
「はあああああっ!」
一瞬の間をおいて、彼女が一気に間合いを詰めてくる。
いくら相手が女の子だからといって、防戦一方で勝てる相手ではない。
かぁんッ!
一撃目をはじき返して、牽制に横なぎを払う。
「ッ!」
バックステップをとりながら、彼女が切っ先を紙一重でかわし………
「でえええええぇぇいッ!」
かわすやいなや、転瞬で思いっきり突っ込んでくるのは分かっていた。
かぁーーんッ!
勢いのついた一撃に一瞬気おされそうになる。
「せいっ!」
立て続けに、上段への攻撃が続く。
一撃目を受け止め、同じ軌道を描いてもう一度。
ガンッ。
木刀が軋むような音を立てて、鍔迫り合いになる。
「くっ………」
間近に見える、彼女の顔が歪んだ。
額の汗は、その運動量が尋常ではないことを物語っている。
「もうやめろ。お前もう」
「うるさいッ!」
振り払うように叫び。
彼女は剣を振り払って、一度間合いを取るために後方へ退いた。
滴り落ちる汗が、俺と彼女の間を繋ぐように床に飛び散っていた。。
「…………ワケくらい聞かせろ。いきなり襲われたんじゃ本気にもなれねえ」
そう……俺は、ココにたっているワケがあんまりわかっていない。
目の前の彼女が向かってくる理由も、ほとんど。
ただ、部活の終了時に呼び出されてこうなった、それだけだ。
彼女はただひたすら、向かってくる。
普段は使うことが禁止されている木刀を手に、もうかれこれ一時間はこうして実践まがいに打ち合っていた。初めこそ何撃か喰らったものの、やはり疲労するスピードは彼女の方が早かった。しばらくして一気に剣戟の速度が落ち、踏み込む位置も精神力も序盤の比ではなくなっていった。
しかも、普段使わない木刀なんて俺でさえ持ちなれていないのだから、彼女の腕が悲鳴を上げていることは想像に難くなかった。
現にもう切っ先が震えて、だいぶぶれている。
「おい」
「まだ!」
だだっこのように叫んだ彼女の顔は、明らかに疲れの色を見せている。
「肩で息切らしてる奴が、エラそうに言うな。それに俺だって部活後なんだぞ、いきなり実戦なんて何本もできるか!」
強い口調で言うと、彼女が目を細める。
無言で謝られているのは、長い付き合いだ、なんとなく分かる。
しばらくして、彼女が乾ききった喉で唾を飲み干した。
「…………これが、最後」
震えていた切っ先が、整った呼吸と共にぴたりと静止する。
「これが終わったら、洗いざらい話してもらうからな」
俺はそれを言い切って、木刀を再度構えなおした。
彼女が、一つ頷いた後、瞳に敵意を湛える。
最後と腹を決めて、彼女の顔が凛々しさを増した。
おそらく、一撃一撃に全ての比重を掛けるつもりだろう。
「…………」
「………」
剣の切っ先同士が、軽く擦れて音を立てた。
転瞬、鋭い打ち込みが上段から振り下ろされる。
かぁんっ!
「ッ!」
―――迅い!
なるべく守勢に回っているとはいっても、この攻撃は今までの比じゃない。
「やあぁっ!」
続く二、三撃を慣れと感覚だけで受けきると、俺は刃を横になぎ払い、間合いから遠ざけた。
訪れる、一瞬の静寂の後。
空気がざわめくと、相手は無言のまま再び俺を打ち据えていた。
彼女の剣に載っているのは、『焦り』。
このまま受け続けているだけでも、たぶん長くは持たない。
これが、おそらく最後の交錯。
「…………」
俺は構えの形を少しだけ変えた。
にらみ合った彼女は相変わらず表情を崩さず、俺の隙を伺っていた。
「はあああああッ!」
繰り出された一撃で、全ての戦いの幕が下りた。
冬の道場は、寒いというよりは冷たい。
背中に当たる木目床も、例外なくひんやりとしていた。
「………津川ぁ」
俺は、大の字になったまま、隣で似たようなことをしている彼女の名を呼んだ。
「あ〜?」
まるで酔っ払いのような、機嫌の悪そうな声が返ってくる。
最後の一本を取れなかったことが、やはり悔しかったのだろう。
守勢から構えを変えた攻撃をかまわず受けきった攻撃………。
つまるところ、最後の一本は相討ちだった。
「落ちた」
彼女は、こちらがわに背を向けて、ぽつりと言った。
「は?」
「…………理由」
「やっぱりか」
ため息混じりに応じる。
春の団体戦選考会が学内であったのは知っていたが、女子の選考がどうなったのかは知らなかった。
「結局、部長なのに最後まで団体戦は、出られなかったや」
「補欠は?」
「補欠争奪で、負けた」
フォローのしようがない。
「…………この学校には、お前より強い奴が七人いただけだ」
「うん」
力なく、放たれた言葉。
「………俺達も、あと一年で卒業かぁ」
「うん」
「……………」
「……」
「お前さぁ」
俺が言い決る前に、津川が半身を起こした。
「居村」
「………おう?」
「帰ろ」
なんかさっぱりした笑顔の津川を見て、俺は何にもいえなくなってしまった。
「………おう」
「ねえ、居村」
コンビニの肉まんケースの前で、津川が視線をケースの中に泳がせながら言う。
「ん?」
「最後、なんで手加減しなかったの?あれって、アンタ攻撃の構えでしょ」
「知ってたのか」
「あれだけあからさまにされれば分かるよ」
「あん時だけ……守勢に回ったら、間違いなくやられると思ったからな」
「………あっそ」
つれない答えのまま、津川が黙り込む。
「それで、相打ちとはいえか弱い女の子の大事な肩を…………最悪だね」
「オイ」
「ということで、この肉まんは私に奢りなさい」
「………津川………まさか」
その時。
津川の口の端が、少しだけ不釣合いに歪んだ。
……ステキに嫌味な笑みだった。
「さあ、居村君」
「分かったよ」
俺はしぶしぶ財布を取り出す。
「うん、素直でよろしい」
「いや、そこでほめられても嬉しかない」
コンビニ店員がレジの方へ向かってくるのを見ながら、俺は彼女が笑っているのを見ていた。
「それでこそ、私の彼氏だ」
「…………」
「……イロイロな意味で、ね」
今のもほめられているのか、少し微妙なところだ。
[終]