Sisterhood



 ―――さて、どうしよう。

「…………」
「うー………」
 聞きなれた声が、その華奢な唇からもれる。
 目の前に座っている志津は今にも泣きそうな顔をして、盤上を見つめていた。
 様子を見ている限りでは大局はおぼろげながらつかめているようで、少々眼を潤ませながら、落ち着かない。
 だが、勝負は勝負。
 しかも、志津が挑んできた勝負だけに、私が無碍にはできない。
「王手」
 申し訳ないながら呟いて、私は最後の一手を盤の上に叩き込む。
 盤上に向かう王将には、既に逃げ場がない。
「う………うー」
「………志津」
 諭すように言うと、志津は口を尖らせて肩を落とした。
 そして、一言。
「うー………負けました」
「………」
 私は溜息をついて、将棋盤の横にあったまだほんのり暖かいコーヒーをすする。
 これは、短時間で決着がついてしまったことによる。
「ということで、明日の映画はいただきます。ごちそうさま」
 将棋盤の下になぜかおいたままのチケット一枚を引き寄せて、指の間に挟む。
 名残惜しそうな視線をよそに、傍に置いたままだった財布の中にしまいこむ。こうなったら「いらない」と返してしまうのは志津のプライドを傷つけるような気がした。
「うー」
「ったく………そんな顔するんだったら、そのままもらって、隣のアホと一緒に行けば良かったのに。実際、アンタが母さんからもらったんでしょ?」
「え、だって、それじゃ………春姉に悪いし」
 ウソがつけない性格は誰に似たのか知らないが、こういう妹なのだ。

 そう、事のあらましはウチの母が映画のチケットとやらを二枚しかもらってこなかったことに起因する。
 母は志津を驚かそうとして、お隣の馴染みに一枚、先に渡してしまったらしい。
 そして残りの一枚は志津の下へ渡って一件落着に見えたが、志津はそのまま自信満々で私の元へ勝負を挑んできた。
 勝負中に通称志津の彼氏である隣のアホから電話がかかり、事情を知ったという次第だ。

「お母さん何も言わなかったから、一枚だと思ってたし………」
「…………秘密にしときたかったんだろうね、きっと」
 つまり、全ての非は母に有るのだが、彼女は今、夕飯の買出しでいない。
 その間に、チケットはなぜか意図しない方向で私のモノになってしまったということだ。
「はぁ………」
「………」
 せつなげな溜息を背に、私は表向き普通を装って、カップに残ったままだったコーヒーを飲み干した。
 なんか私が悪者に思えてきたが、今返そうとしても逆効果なのは眼に見えている。
「まぁ、こうなった以上はたまにはコウちゃんと行ってきなよ、映画」
「志津………」
 妹の彼氏と一緒に映画見てどうすんだよ………。
 そりゃ馴染みなので面識はあるが、状況が状況だ。
 あのバカだって、当日私が来たら何を言うんだか分からない。
「そんなこというと、あのバカ取っちゃうぞ」
 将棋の駒を専用の木箱に戻して、父さんがいつも使う窓際に戻す。
「それはイヤ」
「きっぱり言えるなら、取り返すくらいの誠意を見せな」
「え?」
 私は、テレビ一式の横に立てかけてあったポータブルのオセロを取り出した。
「ほら、アイツが好きなら私に勝てるまでやれ」
「え、でも………」
「いいから」
 私は押し切ると、なかば強引にテーブルに志津を座らせて、オセロを広げた。
 個人的にはポリシーに反するが、こうなったら手を抜くしかない。


「ほら、志津の番」
「えーと………よ」
 戸惑い気味に、デットゾーンへと次々オセロを放り込む志津。
 目先の利益を考えての戦法は初心者としては上等だが、それ以前に同じ戦法で戦っても、負ける気がしない。
「お姉ちゃんの番」
「えーと………この辺りかな」
 適当に、さしあたり少なそうなところを狙って、コマをひっくり返してゆく。
 なにか狙っているように見せかけるのに一苦労だ。
 普通に勝つより、手を抜く方が難しいような気がする。
「あ」
 置いた瞬間、志津が反射的に声を出した。
「………置いちゃまずかった?」
「あ、ううん。違う、違う。教室に忘れ物してきちゃったの思い出して」
 …………ウソだ。
 完全にここを狙ってた。
 確かめてみると狙いは良くて、ここを差していればある程度勝敗のカタはついていた。
 考えてオセロしてたのを分からないまま、私は彼女の唯一のチャンスをつぶした。
「…………」
 間が悪いといえばそれまでで。
 この後、崩れた志津の調子はとまらなかった。
 逆の方向に。


「……………」
「………ごめん」
 すっかりしょげてみる影もない志津の背に、やんわりと放る。
「いいよ、お姉ちゃんだってチャンスをくれたわけだしさ。今回は諦める」
 振り向いて笑う顔は、見ていてせつない。
「さて、私、そろそろ宿題しないと。夕飯まで部屋、戻ってるね」
「あ…………志津」
 足早に、私が何か言いかけたのを振り切るように、志津は部屋から出て行った。
 たぶん、分かっていて無視された。
「…………」

 ―――さて、どうしよう。

 母親に責任を押し付けるのは、今更見当違いだ。
 かといって、今更志津に渡すのもなぁ………。

 二人分のカップを持って、シンクへと向かう途中。

「あ…………」

 私はあることに気がついた。
 カップを流しに置いて、部屋の床に放り投げたままだったジャンパーを羽織る。
「よし」
 善は急げだ。
 私は窓際にあった将棋盤と駒入れの木箱を抱えると、部屋を飛び出した。



 ノックを二回。
「しーづー」
 寝ているのかと思ったが、中から「入っていいよ」と静かに反応があった。
 ドアを開けると、机に座ったまま志津がこちらを向いていた。
 本気で宿題してたところが志津らしい。
「お姉ちゃん、犬みたいだから語尾伸ばさないでって」
「ああ、分かった分かったごめんごめん」
 話を聞いていないのが分かったのか、志津は不審そうに首をかしげる。
「で、なに?ごはん?」
「なら、外からできたよって呼ぶよ」
「………じゃ、なに?」
 私は手の隙間から、映画のチケットを出した。
 …………二枚。
「あれ?」
「やっぱ映画は、私達で行こう。元々ウチのだし」
「え?」
 まだ事情を飲み込めていない志津の手に、すばやくチケットを握らせる。
「コウの奴には今度志津がサービスするということで手を打ってもらったから、ね?」
「え?……えぇ!」
「今頃、年頃の男の子は何を想像しているんだろうなぁ………後が楽しみだなぁ」
「お、お姉ちゃんのバカッ!なんて約束するのッ!」
「いっひっひ。ということで一件落着したから、安心なされ」
「落着してないー!」
 コロコロ変わる志津の表情に苦笑いしながら、私は彼女の頭を撫でた。

 やっぱり志津はこうでないと。

 かわいいかわいい私の妹なのだから。

     ―――たとえ、血が繋がっていなくても。

[終]