路地裏の猫



「じゃあね」
「んじゃ、また明日な」
 笑顔で手を振る二人。

「さっとしーぃ、これからどうする?」
「さあなー………取り合えず駅前のルフロソまで行くか」
 バカっぽい格好と脳みその会話。

「帰りたくない、ねぇ………」
「………俺も、かな」
 お、新参。互いに初々しく顔を背けてやがる。


「はぁ…………」
 嗚呼、まったく…………。
 夕暮れももう終わりそうな時刻になると、駅前裏手に作られたこのバカでかい公園にはカップルがわんさと押し寄せる。
 事実「そういう待ち合わせ」に使われることの方が多いし、別段公園だろうが駅前だろうが恋人同士が仲睦まじいのはシングルにとって軽い妬みの対象になるだけで、別に迷惑なことじゃない。
 それも珍しいことじゃないし。
 私は公園の入り口にあるベンチに一人で腰掛けながら、学校帰りやらこれからお楽しみやらで忙しい男女が過ぎてはやってくる光景を適当に観察していた。

 私は、別に誰かを待っているわけじゃない。
 アッチから勝手にやってくるのを「見ているだけ」だ。

「相変わらず暇だねー」
 突如、隣でした声にも、私は驚かないで組んだ足の上に頬杖をついた。
 吹き抜ける夏の風のように、私を素通りしていくような、そんな声。
「そういうアンタは毎度毎度どこから沸いて出るの」
 視線を流すと、相変わらずどこかつかめない顔のとっぽい兄ちゃんが黒いハードケースをベンチに立てかけて、私の隣に座っていた。
「路地裏からのっそりと」
「答えになってない」
「夕暮れになると現れるんだよ。怪獣みたいにがおーって」
 わけわからん。
 私があきれた顔を見せると、その兄ちゃんは困った顔をして、私に背を向けた。
「仕方ないなぁ………そういう悪い子には」
 あきれただけで悪決定か。
「ジャンじゃジャーん」
 相変わらずテンポのつかめない効果音とともに、私の目の前に差し出されたそれ。
「………?」

 ふかふかして、とてもおいしそう。
 ってか………肉まん?

「ほれ、君の分」
 そういってずいと差し出されるほかほかと効果音をつけたくなるくらい湯気の出ている肉まん。
「これ…………」
「あれ、これ、見たことない?肉まんって言うんだよ」
「知ってるよ」
「あ、そう?おいしいよ」
「っていうか、何が言いたいのかわからない?」
「わからない。僕は君じゃないから」
 おいしそうに肉まんにかぶりつく兄ちゃん。
「どこで買ったの、これ」
「え、あの、三丁目のセブンナイン」
「………んなものあったっけ」
「二時間営業だからね、知らないのも無理ないよ」
 丁寧に律儀にとんでもないことを突っ込みながら、兄ちゃんは戸惑う私にかまうことなく肉まんを平らげてゆく。
 もはやどこに切り返しの口を求めていいやらわからず、私はとりあえず肉まんを食べ終わるまで、何にも言わなかった。

 「兄ちゃん」と出会ったのは、夏の初めだった。
 梅雨がちょうど明けて、からっと晴れた日。
 いつものように母親と喧嘩して、逃げてきたこの場所でうずくまっているところを、兄ちゃんに保護された。

 あの日も、もっと遅かったけど夕暮れ時。

 泣き叫んで走って疲れた私に、通りすがりの兄ちゃんがかけてくれた一声。
「そこの人、今、暇?そこで座ってるだけでいいから、サクラやっててよ」

 ………今から思うと明らかにあり得ない出会いと提案だったが。
 疲れてた私に、そのまま座ってるだけでいいと言ってくれた人。
 後でアイスをおごってあげるといった危ないお兄さん。

 以来、こんなとんでもないところでストリートミュージシャンをやっているこの兄ちゃんのサクラを演じることが、私の週二回の習慣となったワケである。


 もそもそとおやつだか夕飯だかを平らげ終わった後。
 パンパンと手をたたいて、兄ちゃんがギターを手に取って、路肩に席を移した。

 ケースから出したギターは、すごいボロ。音もそれなりだ。
 だから客がいないし、聞いてくれる人もたまにしかいない。
 それでも週二回、兄ちゃんは飽きもせずこの場所へやってくる。

「………さて、毎度聞いてくれているアナタに大変残念なお知らせです」
 名詞が「みんな」じゃなくて単数形なのがさびしいモノローグ。
「わー」
 やる気のない拍手で出迎えると、兄ちゃんが顔をへこませる。
「おーい、残念って言ってるだろ。もうちょっと残念そうな声出せよー」
「わー、ざんねーん」
 われながらすごい適当だ。
「まだ言ってないだろ」
「早く言え」
「うい」
 ギターを持ち直した後、兄ちゃんが顔を少し沈ませて、少しだけまじめな顔をした。
「突然ですが、就職が決まりました〜」
「おー……って、それのどこが残念なの」
 むしろ喜ぶべきことじゃないのか。
 すると、兄ちゃんは少し哀れっぽい顔をして私を見た。
「あのね、君は寂しくないのかい。薄情だなぁ」
「あ、あー」
 その言葉でぴんときた。
 そうか。
 もう、働きはじめたら週二回なんて歌えないだろう。
「ということで、本日が、僕のラストライブ」
「は?」
「仕事先が東京なんだわ。だから、ここにはもう……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 自分が予想していたよりも、出した声はでかかったかもしれない。
 それでも、私は辺りのカップルどもを気にしなかった。
「なんでそんな………突然なわけ?」
「僕だって驚いてるよ。おととい電話があってすぐ東京来てくれ、なんだから」
 どうしようもない、という風に顔を困らせる兄ちゃん。
「でも……ここじゃなくても、ギターは、やるんでしょ?」
「んー、まぁ………でももう、路上ではやらないつもり」
 短く切って捨てられた言葉。
 私は、何かが崩れていくのを、感じた。
「とりあえず、お金稼がないとね………好きなこともできないから」
 いつも、すっとぼけた発言しかしなかった兄ちゃんの口からは、想像できない言葉。
 私が座っているベンチから少しだけうつむいたように見える顔は、いつもの兄ちゃんの顔じゃなかった。

 とても言い訳っぽくて。
 ケンカしてる、母親の、大人の顔にすごい良く似てた。

「あっそ………」
 やっと絞り出した声は、明らかに怒気を含んでいた。
 怒っているのがわかるけど、どこかそれを客観してる感じ。
「んじゃ、兄ちゃんのギターは、そんなもんだった、って、そういうこと!」
 ベンチから立ち上がった私に、明らかに兄ちゃんは狼狽してた。
 その顔が、ますます憎らしく見えて、私はどうしても兄ちゃんの前に迫らざるを得なかった。

 なんで、どうして?
 この場所を、そんなにあっさり捨てていってしまうの。

 わからなかった。
 わかりたくなかった。

 大人になることが、こういうことだって言うことを。
 生きていくために犠牲になるものが、とても大きいことを。

「兄ちゃんにとって、この場所は………そんなどうでもいいものだったんだ」
「それは、違う」
「違わないよッ!」
 少し上ずった声で反論する私に、兄ちゃんが本当に困った顔で見上げてくる。

 ああ、困らせてる。
 こんな顔、見たことなかった。
 兄ちゃんのことなんて、何にも知らなかったんだから。

 しばらく、ずっとそのまま。
 私たちは夕闇に染まった公園の中で、奇異の視線を浴びながらにらみ合っていた。
「帰る」
 私は、見下ろすように、見下すように。
 とっても残酷な言葉を選んだ。

 許せなかった。
 大人になる兄ちゃんを。
 私とこの場所をおいてってしまう兄ちゃんを。

「まって」
「いや」
「…………最後まで、サクラをやりとおしていって」
「帰るッたら、帰るよ!」

 もう、いいわけなら、たくさんだ。

「……そっか」
 すべてが、落胆したような声。
 自分がすべての責任だと思うと、胸が痛い。
 泣きそうだったけど泣いたら私が子供であることが、負けてしまう。
「それじゃあ、これだけ、もっていってくれる?」

 兄ちゃんは、すごい普通にそういうと、懐から薄くて四角いものを取り出した。
「…………」
 蛍光イエローのMDだった。
 デザインがダサい。

「周りの人が記念に、レコーディングしてくれたんだ。CDだったらよかったんだけど、ウチパソコンなくてデータが焼けなかったからさ」
「いらない………」
「だめ。一回聞いて駄目だったら捨ててもなんでもいいからさ、もってくだけ持ってってよ。一枚しか持ってきてないから、自分の曲が入ったMD持ち帰るなんて惨めだろ」
「いらない!」
 そんな物に、変えないで。
 思い出になるものに、置き換えてしまわないで。
 心の奥でわだかまり続ける言葉は、胸に詰まって声にならなかった。
「…………わがままだなぁ」
 兄ちゃんはふーむ、と頭をかくと、私から視線を逸らした。
「………わがままだよ」
 私は少し膨れたまま、開き直る。
「じゃあ、俺のワガママも聞いて」
「やだ」
「………っ、あー」
「……なに」
「分かった、じゃあ、君の好きにして。ココに残ってサクラをやってくれるのもいいし、帰っちゃうのもアリ。MDをもらってくれるなら、手を出してくれれば演奏とめるから」

 彼は私には目もくれないで、静かにギターの弦をいじりだす。
 急に、突き放されたような気になって、私はまた腹立たしい気持ちになった。
 だってそういわれたら、私は何にも出来ないじゃないか。

 それでも、兄ちゃんの顔がいつもどおりに戻っていたことが、情けないけど私を少しだけ安心させる。
 ちょっとだけ怒鳴っていた自分が、恥ずかしくなった。
 私はベンチに座りなおすと、目の前で黙々と作業を続ける男に言った。
「………こんなことになるなら、分かってたはずじゃん」
「だから、僕だって受かるとは思ってなかったんだから、おし、これでよし」
 試し弾きの弦からはじき出される音が、いつもよりキレイ。
 かすむ夕闇に、流れる音。
 その音の一端、一端が丁寧に織り込まれていく。
「…………」
 私が感じたちょっとした違和感を気にもせず、兄ちゃんはこっちを見ると、もう一度懐からMDを出した。
「準備はOK。お代は見てのお帰りだ。さて、最終公演……派手に行きますか」
 私が今度はそのMDを受け取ると、兄ちゃんは嬉しそうに笑った。

 そして。
 ギターがかき鳴らされた瞬間。

 私は、彼が「とある嘘」をついていたことに、初めて気がついた。

     ―――

 降りる駅まで後一駅というところになって、兄ちゃんに渡されたMDの最後の曲が終わって、リピートに入る。
 全体的にアップテンポな、今時のバンド。
 多少違うのは、個々のパートのレベルが比較にならないくらいうまいことくらいか。
 特に、ギターとボーカル。

 今でも、なんとはなしに夢ではなかったかと思う、あの日々。

 繰り返されて戻ってきた一曲目。
 イントロが早いエレキギターのソロで入って、それにドラムが覆いかぶさる。
 そして………圧倒的な声量を誇る、兄ちゃんのキレイな声。

 彼は多分、あんなところでギターを弾いていた人間じゃなかった。
 たぶん通りかかったのも偶然で、私に出会ったのも偶然。
 成り行きで、それでもそれを貫き通してくれた兄ちゃん。
 このMDが、その証。

 改札を出ると、少し冷たい秋の風と高く澄んだ空が、乱立したビルの合間から遠く見えた。
 そして駅前の大きめの看板に映し出された、兄ちゃんの顔。

 私の、『子供』を終わらせた人。

「期待の新鋭・STREETDOGS、デビュー」

 私はでかでかとした文字の書かれた看板を素通りすると、涼やかな秋の日差しに導かれながら、駅ビルのCD屋へと向かった。

 MDは、もう次の曲を流し始めていた。


[終]